図書館だより :伊

 

2015年08月31日(月)

『海部・津島の城跡をめぐる』のお話をもう一回だけさせてください。

6月下旬に展示を開始してから数週間、利用者の方からの反響が幾つかありました。
中でも、「展示の資料について解説があるパンフレットがあれば」という要望は多く、
急遽作成して解説チラシを置かせてもらいました。

また、利用者の方以外にも今回の展示を通していろんな人と関わることができました。
現地へ城跡の写真を撮りに行った時の話ですが、城跡の近所に住んでいる人に運よく、
城についての詳しいお話を聴けた事がありました。こういった現地で起こる予想外の
出来事は何度かあり、私にとっては嬉しい誤算となりました。

今回の群雄割拠の舞台となった海部・津島の城ですが、どちらかと言えば歴史の矢面に
立つことのない「兵(つわもの)どもの夢の跡」ともいえる史跡です。その知らない
歴史が、実は今に名を残す武将たちの礎になっているではないでしょうか。

振り返ってみると、様々な方に助けて頂いて展示にこぎ着けることが出来たと思います。
また、ご迷惑をかけたこともあると思います。何はともあれ、今、こうした形で展示を
する事が出来たことに感謝感激です。ありがとうございました。 (伊)

 

2015年08月17日(月)

現在展示中の『海部・津島の城跡をめぐる』のお話をまた少しだけ。

写真と共に必要になってくるのが城についての解説文です。
今回の一番の大元となっている資料は『海部郡誌』に記されていた城です。蟹江の東隣り、戸田、伏屋、もしくは春田ぐらいまでが海部郡と呼ばれていた頃に書かれた草稿で、その複写を綴じた冊子のうち2冊を参考にしました。

現在展示中の城跡マップは城名が白と赤の紙で分けて貼ってあります。白色が『海部郡誌』に書かれていた城、赤色は本誌に掲載が無く、後で追加した城です。
赤色は石碑があるが記録されていない、もしくは他の城と歴史上、重要な位置関係なので入れておきたいという理由で足したもので、結果27の城となりました。

城名・城主の詳細については郷土資料の市町村史等で調べました。調べている時に悩んだのが、城なのか砦なのか、表記が本によって違う事と城主の名前が微妙に違う事です。「砦」と書いてあればそれは同名の城を指しているのか、人名の場合は、昔の人の書き間違えか、それとも似た名前の武将がもう一人いたのかと、判断に苦しみました。

ですのでパネルの解説文に関しては、多少偏った内容になっており本と差異があるかと思いますがご了承ください。 (伊)

 

2015年08月10日(月)

アイスといえば今年はとてもおいしい市販のアイスが登場した!!!と思っております。
一つは「牧場しぼり 柑橘ジェラード&ミルク」。
もう一つは「爽 スイカ味」。
特に牧場しぼりはすごく美味しくてしばらく毎日食べていました!!
爽のスイカ味も種の部分がラムネでできていて、とてもさっぱりして夏にぴったりだなと思います!
まだ食べてない人は騙されたと思って食べてみてください(笑)
まあ、好みもありますので、どう思うかは個人差がありますけれども・・・。
子どもの頃アイスを手作りしたいな~とよく考えていましたが、プリンすら満足に作ることができない私が、アイスなんてとうてい無理だなと思う今日この頃です。

『ホームメイドアイスバー アイスクリームメーカーなしで流しこむだけ』596.6オ
『冷たいデザートレシピ アイスクリーム*シャーベット*ゼリー*ババロア』596.6ワなどなど(べ)

 

2015年08月03日(月)

先々月から展示している『海部・津島の城跡をめぐる』ですが、今月から少しずつ現地
で撮影してきた写真を追加していく予定です。今回はそのお話を少しだけ。

撮影に現地まで行くのには、まず参考資料から住所を探し出し、地図を確認して目的地
まで行くことになります。○○のコンビニを目印にとか、この交差点まできたら何番目
の角を曲がるとかをあらかじめ憶えておいて、近くの小さな森や寺社を探しながら城跡
を目指していました。

それでも目的の場所にたどり着けなく同じ場所をぐるぐる周る事もあれば、その日はあ
きらめて再度訪れた城跡もあります。
端から見ると滑稽に見えていると思いますが、見つけたときの喜びはひとしおです。 (伊)

 

2015年07月27日(月)

前にも紹介した本ですが、『昭和50年代日本車のすべて 日本の最盛期!すぐそばにいた名車たち保存版記録集』(537.9/シ)を何度か読み返しています。
その中のフェアレディZのページを見て、栄地下街のクリスタル広場にあった「日産名古屋ギャラリー」をふと思い出しました。当時、栄の地下街へ下りると、時間つぶしによく立ち寄ったことを憶えています。

車自体そんなに興味のない私ですが、その新車独特の光沢のあるボディや、レース仕様の車を見てると、いつの間にかスポーツタイプの車に憧れを感じてしまうものでした。
特に重厚なメカニズムの車が大好きで、乗って運転してみたいという気持ちが自然に出てきてしまいます。

その後2013年に閉店が決まり、地方のニュースとして新聞・テレビ等で報道されました。あの展示場が他の人にとっても思い出に残る場所だったという事をあらためて知ったニュースでもありました。 (伊)

 

2015年07月20日(月)

前にも紹介した本ですが、『昭和50年代日本車のすべて 日本の最盛期!すぐそばにいた名車たち保存版記録集』(537.9/シ)を何度か読み返しています。
その中のフェアレディZのページを見て、栄地下街のクリスタル広場にあった「日産名古屋ギャラリー」をふと思い出しました。当時、栄の地下街へ下りると、時間つぶしによく立ち寄ったことを憶えています。

車自体そんなに興味のない私ですが、その新車独特の光沢のあるボディや、レース仕様の車を見てると、いつの間にかスポーツタイプの車に憧れを感じてしまうものでした。
特に重厚なメカニズムの車が大好きで、乗って運転してみたいという気持ちが自然に出てきてしまいます。

その後2013年に閉店が決まり、地方のニュースとして新聞・テレビ等で報道されました。あの展示場が他の人にとっても思い出に残る場所だったという事をあらためて知ったニュースでもありました。 (伊)

 

2015年07月06日(月)

先月、近鉄線の駅で手に取った広報誌に、後藤又兵衛についての人物像を紹介した記事を見つけました。文章を書いたのは、『黒牛と妖怪』(913/カ/)等で知られる風野真知雄氏です。

後藤又兵衛と言えば中日新聞で、又兵衛と松坂屋創業者の子孫の方々が四百回忌法要をしたという記事が載っていました。
ちょうど今年は大坂の陣から四百年。夏の陣で戦死した又兵衛は、豊臣方で真田幸村と並ぶ有名な武将でした。

豪傑なイメージが強く、時代劇に登場すると、荒々しい出で立ちで直情的性格の人物ですが、昨年の「軍師官兵衛」では実直な青年像になっていました。
時代とともに又兵衛の評価や人物像が少しずつ変わってきているのかも知れません。 (伊)

 

2015年06月22日(月)

『倭城を歩く』(210.4/ワ)という本を先日読みました。
朝鮮出兵の際(文禄・慶長の役)に築かれた朝鮮半島の城跡の数々が紹介されており、
加藤清正を始め、多くの武将が見知らぬ土地で石垣のある立派な城を作り上げていた
ことに驚きです。

豊臣秀吉の命により築かれたお城は未だに謎がいっぱいで、年代順に大坂城、聚楽邸、
肥前名護屋城、伏見城と数多くありますが、当時のままの建物を残しているものは移築
されたもの以外ほとんどありません。

現在の大坂城は、天守が秀吉の頃を再現し、石垣は徳川幕府が建てなおした時に造られ
たもので、豊臣時代の石垣は地中深く眠っているそうです。
最近のニュースでは、伏見城跡から秀吉が居城していた時に使われていた金箔瓦が出土
したとして話題になりました。

徳川幕府でされ消すことの出来なかった豊臣政権の名残は、どれだけ今後見つかるので
しょうか楽しみです。 (伊)

 

2015年06月08日(月)

『昭和50年代日本車のすべて』(537.9/シ)という本を読みました。
読んでみると、70後半から80年代の車は角張った車種が多いですね。
特に80年代はサンルーフ付きのタイプが特徴的です。

当時の自動車は頻繁にテレビやラジオでCMが流れていたので名前だけは結構憶えて
います。「ギャランΣ(シグマ)」とか「ビスタ」とか。
特にアクション系の刑事ドラマで活躍した「スカイライン」は、赤と黒のカラーリング
に両ドア下部の白い(もしくは金色の)文字がカッコ良くて大好きでした。

その中でも特に印象に残っているのが「CITY」です。マッドネスによるテンポの
いいCM曲と、「モトコンポ」というコンパクトなバイクが搭載されている紹介が当時
面白いと思って見ていた記憶あります。
今はもう当時憧れの車は、ほとんど見なくなってしまったので寂しい限りです。(伊)

 

2015年05月25日(月)

先日、岐阜県の墨俣一夜城に行ってきました。豊臣秀吉がまだ藤吉郎と呼ばれていた頃、
普請を任され初めて城を持ったお城で、蜂須賀小六が築城に貢献をした事や、書き割りを
使って敵にあたかも一日でお城を築いたように見せかけた話が有名です。

5階立ての模擬天守からは岐阜城の金華山がぼんやりとですが望むことができました。
当時ならもっと空気が澄んで、くっきりと互いの城が見えた事だと思います。特に
斎藤側にとっては敵に侵略されている分、かなりの脅威になっていたと思います。

実際は「城」と言うより、幾つかの小屋で構成された広い「砦」や「要塞」であったと
言われています。現在ある天守閣は平成に復元されたもともと実在しない建物です。

子供の頃に行った記憶では、石碑だけのひっそりとした川の中州の城跡でした。当時は
歴史漫画を読んだ後に連れて行ってもらったので、一夜で城を築いたとかそういった
伝説を頭の中で膨らましながら城跡を散策したのを憶えています。

せっかくなので久しぶりに『豊臣秀吉 天下の統一』(K/289/ト)を書棚から出して
読みなおそうと思います。 (伊)