中日新聞
空襲被害救え 運動50年 民間人補償 国は認めず 名古屋市など独自支給 原点は故杉山千佐子さん 名古屋拠点に立法化へ奔走 私たちは、好きで死んだり、けがをしたりしたのではありません
太平洋戦争が終結して77年、国は軍人・軍属、遺族に少なくとも53兆円の恩給を払ってきた一方で、空襲被害に遭った民間人への補償からは目をそらしてきた : 民間の空襲被害者への補償を求める運動は1972年に本格化。法案は翌73年から89年までの16年間で14回、国会に提出されたが、いずれも廃案となった。遅々として進まない国による補償に対し名古屋市、愛知県岡崎、津島、稲沢の各市、浜松市は独自で補償してきた : 50年前、民間の空襲被害者への補償を求める運動が本格化する原動力になったのは、名古屋空襲で左目を失明した故杉山千佐子さん。2016年9月に101歳で死去するまで、名古屋を拠点に立法化のために奔走し、運動を全国に広げた : 杉山さんは亡くなる約1カ月前、「私たちは、好きで死んだり、けがをしたりしたのではありません(中略)私たち民間空襲被害者の訴えのどこがおかしいのですか」というメッセージを全国空襲連の集会に寄せている