県内の新型コロナ感染者数 29日現在
8月29日現在の愛知県内の新型コロナ感染者数(累計)は4459人(+45): 津島市では累計24人(変動なし)となっている : 津島市では津島保健所(0567-24-6999)が新型コロナウイルス相談窓口になっている
8月29日現在の愛知県内の新型コロナ感染者数(累計)は4459人(+45): 津島市では累計24人(変動なし)となっている : 津島市では津島保健所(0567-24-6999)が新型コロナウイルス相談窓口になっている
津島で盗っ人を捕らえたことが、豊臣秀吉と津島神社(津島市神明町)の縁を深めるきっかけになったのだろうか : 国の重要文化財に指定されている楼門は秀吉の寄進と伝わる : 1941年の解体修理では内部から1591、92年の墨書が発見され、秀吉が生存していた時代と建築年大が一致し、信ぴょう性が高まった : 古文書によると、秀吉は大阪に拠点を移した後、津島神社を京都・伏見へ移転させる計画を立てていたが、結局神社関係者の反対もあり、移転を取りやめた : 郷土史に詳しい津島市立図書館職員の解説では「織田家が津島神社を信仰していたので、それを引き継ぐ気持ちもあったと思うが、秀吉の信仰心はかなり篤かった」と語る : 織田信長が西美濃を攻めるため、墨俣(岐阜県大垣市)に陣を構えていた1563年(永禄6年)信長の部下が宿営中、金竜のくしを夜中に盗まれた。犯人扱いする声を聞いた秀吉は津島に向かい、質屋や豪商にくしの形状を伝え「預けるものがあればすぐに知らせよ。褒美に黄金十両を与える」と約束 : くしを質屋に持ってきたという報告があり盗っ人を捕らえた : ひとえに牛頭天王のご加護であると、天王をまつる津島神社へ参拝したというエピソードが残されている
「真珠湾攻撃はだまし討ち」。そんな評価に気後れし、米ハワイ・真珠湾で戦死した叔父・三郎の実家を継いだ牧野明久(83)は、その地を訪れることに二の足を踏んでいた : 真珠湾攻撃は日本国内でも評価が割れていると感じていた : 明久は愛知県立津島高校(津島市)を経て、立命館大を卒業し、名古屋港管理組合(名古屋市港区)に就職。仕事に没頭し月日は流れた : この間、三郎については誰かに聞かれれば答える程度で、自分から話すことはほとんどなかった : 真珠湾攻撃から50年の91年、海軍戦友会の幹部からハワイ・オアフ島にある日蓮宗別院を紹介され、「戦争に持ち込んだのは指導者。兵士は軍人の責務を果たしただけ」とわだかまりがない米国人もいると知り、気持ちが楽になった : この年の12月、ブッシュ米大統領は真珠湾での記念演説で、真珠湾攻撃を機に約12万の日系人を強制収容したことを謝罪。時間とともに和解が進んでいた : 同じころ職場の部下から渡された米国の歴史家が出版した真珠湾攻撃の写真集に三郎も顔写真を添えて紹介されており、現地に慰霊に行きたいという気持ちが徐々に強まった : 定年退職し2年後の99年5月、妻の咲子と一緒にオアフ島に向かい、観光の前に日蓮宗別院を訪ね、お経を読んでもらった : 波の穏やかな真珠湾を船でクルーズし、明久は肩の荷が下りたような気持になった : 牧野三郎は津島市出身である野口米次郎(詩人、小説家、評論家)の姪の夫にあたる
8月29日から一宮市大和町の市博物館で名古屋市出身の洋画家、杉本健吉さん(1905~2004年)の素描作品の企画展「杉本健吉素描展~旅の空から~」を開催 : 杉本さんが度々訪れていた奈良の風景や寺をはじめ、57歳からヨーロッパや中国、韓国、インドなどを旅して描いた街並みや人物の素描作品34点が並ぶ ; 杉本健吉は愛知県名古屋市生まれ。幼少期を大正時代の津島町で過ごした。津島第一尋常小学校(現在の南小)卒業
津島市が7月から、ふるさと納税の返礼品として加えた「持ち運びができるガス発電機」が人気を集めている : 30万円超の高額な寄付金にもかかわらず、約2か月で申し込みは29件。7月の総寄付額(約1355万円)のうち3割超を占めた : 市シティープロモーション課の担当者は「7月は九州などで豪雨や洪水が相次ぎ、防災意識の高まりが背景にあるのではないか」と推察 ; 津島市ふるさと納税返礼品