コーナー9「図書館文化祭」

他人を感動させようとするなら、まず、自分が感動せねばならない。そうでなければ、いかに巧みな作品でも生命を持たない。(ジャン=フランソワ・ミレーの言葉より)

今年の夏は記録的な猛暑となりましたが、ようやく秋の気配を感じる季節となりました。
秋、といえば「芸術の秋」。というわけで、夏に開催した「図書館体育祭」に続いて、今年の秋は「図書館文化祭」を開催する運びとなりました。「文化祭」は、「音楽会」と「美術展」の二部構成となっています。
もちろん、ここは図書館ですので「本」が主役となります。「アート」と「本」の出会い、ご堪能下さい。

音楽会

  1. オープニング

    『くちびるに歌を』表紙

    混成合唱「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」 『くちびるに歌を』 中田永一

    運転席の窓をあけて松山先生は言った。
    「【くちびるに歌を持て、ほがらかな調子で】ってね。それをわすれないで」
    私たちがうなずくのを確認して、松山先生はエンジンをかけた。

    物語の舞台は、長崎県五島列島のとある小さな島の中学校。合唱部顧問の松山先生が産休に入るため、音大の同級生・柏木ユリが臨時教員となりやって来た。全国コンクールの課題曲「手紙~拝啓 十五の君へ~」の意味を見出すために、柏木先生は部員たちに15年後の自分に宛てた手紙を書く宿題を出す――。

  2. 第一部・ピアノは語る

    1. 『さよならドビュッシー』表紙

      Ⅰ.ドビュッシー「月の光『ベルガマスク組曲』より」 『さよならドビュッシー』 中山七里

      「審査員も観客も君の名前なんかには興味がない。君のピアノ、君が曲に込めた想いに共鳴したんだ。あんなドビュッシーは君にしか弾けない。それは、君だけが持ち得る力だ。音楽の神様が君だけに許した力だ」

      ピアニスト・岬陽介が登場する「岬陽介シリーズ」の第一作。祖父と従姉妹とともに火事に遭い、全身大火傷の重傷を負いながらもピアニストになることを誓う遥。コンクール優勝を目指して猛レッスンに励むが、不吉な出来事が次々と起こる。
      ちなみに、2018年はドビュッシー没後100年のメモリアル・イヤー。

    2. Ⅱ.シューマン「幻想曲ハ長調 作品17」 『シューマンの指』 奥泉光

    3. Ⅲ.ショパン「ノクターン第二番」 『ひとさし指のノクターン 車いすの高校生と東京藝大の挑戦 』

  3. 休憩

    フォーレ「シチリアーノ」(曲名は書かれていませんが、フルートの名曲として紹介します) 『おんがくねずみ ジェラルディン はじめておんがくをきいたねずみのはなし』 レオ=レオニ

    ほかの ねずみたちも この きせきを ききに あつまって きた。おんがくが おわると、いちばんの としよりねずみ グレゴリーがささやいた、「もし これが おんがくと いうものなら、ジェラルディン、おまえの いうとおりだ。あの チーズを たべる わけには いかない。」

    おんがくをきいたことがなかったねずみのジェラルディンは、ある日、台所でとても大きなチーズを見つけます。チーズをかじっていくと、中からチーズのねずみの像が現れて、夜になるとしっぽをフルートにして、ジェラルディンに演奏を聴かせました。
    「おんがくだ!」「これこそ おんがくにちがいない!」ついにジェラルディンは、おんがくと出会ったのです。

  4. 第二部・Let’s クラシック♪

    1. Ⅰ.べートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第5番『春』」 『船に乗れ!(1)(3)』 藤谷治

    2. Ⅱ.ヴィヴァルディ「ヴァイオリン協奏曲『四季』」 『ピエタ』 大島真寿美

    3. 『おわらない音楽』表紙

      Ⅲ.武満徹「ノヴェンバー・ステップス」 『おわらない音楽』 小澤征爾

      だいたい指揮者という商売は、自分一人ではどんな音だって出せない。演奏家や歌い手がいて初めて音楽が生まれる。宿命的に人の力がいるのだ。
      どんな人たちに支えられてきたか。その恩人たちを紹介するのが僕の「履歴書」なのかもしれない。それには生まれた時のことから順に追っていくのが良さそうだ。

      昔を振り返らず、次の演奏会のことだけを考えてきた「世界のオザワ」。斎藤秀雄、バーンスタイン、カラヤンら恩師との思い出をはじめ、家族への思いや音楽への情熱を余すところなく語った一冊。マエストロの疾風怒濤の半生に耳を澄ましてみましょう。

  5. 第三部・Rock‘n’ Roll Star

    1. 『階段途中のビッグ・ノイズ』表紙

      Ⅰ.Green Day「Basket case」 『階段途中のビッグ・ノイズ』 越谷オサム

      俺いま、ほんとに楽しいよ。あのとき大野が階段の下で足を止めてくれなかったら、俺、今日はどこで何してたんだろう。
      (中略)
      全部、今日のためだ。いまこの瞬間のためだ。
      啓人はこれまでの日々で培ってきたありったけを、マイクとギターにぶつけた。

      県立大宮本田高校の軽音楽部は、部員が不祥事で退学処分となり廃部の危機に立たされていた。唯一残った部員の啓人も部の存続を諦めていた時、幽霊部員の伸太郎が現れ、校長に直談判した結果、条件付きで部の存続を認めさせることに成功。条件の一つが、半年以内に何らかの成果をあげること。さて、文化祭での一発ドカン!は叶うのか?

    2. Ⅱ.Red Hot Chili Peppers「Dani California」 『フジロック20thアニバーサリー・ブック』

美術展

  1. オープニング

    『ルーヴル美術館の舞台裏』表紙

    レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」 『ルーヴル美術館の舞台裏』

    「ここはパリの中で、一番おしゃべりできる場所である。暖房が入っていて、退屈せずに人を待つことができる。それに、女性にとっては格好の逢引きの場所である」

    (シャルル・ボードレール)

       

    シャルル・ボードレールはフランスの詩人

    “城塞”として建てられたルーヴルは、どのような経緯で“美術館”となったのか?「モナ・リザ」をはじめとする名画たちは、なぜルーヴルに所蔵されているのか?ルーヴルを知れば、きっとルーヴルに行きたくなる!
    「ルーヴルへの招待」と銘打たれたこの一冊は、ひいては「美術への招待」と言えそうです。

  2. 第一部・日本画を読む

    1. Ⅰ.長谷川等伯「松林図屏風」 『等伯 』 安部龍太郎

    2. 『眩(くらら)』表紙

      Ⅱ.葛飾応為「吉原格子先之図」 『眩(くらら)』 朝井まかて

      さてあたしは、いくつまで生きるのか。
      あと十年、いや五年あればと願った親父どのの気持ちが今、心底わかるような気がした。
      一筆二筆のうちに、筆外の意が現れる。それはある時、ふと得られるものだ。でもすぐに逃げて見失う。その繰り返しこそが画業だ。

      偉大過ぎる父・葛飾北斎、兄弟子・渓斎英泉への叶わぬ恋、北斎の名を利用し悪事を重ねる甥。人生にまつわる面倒事も、ひとたび筆を握れば全て消え去る。北斎の右腕として、風景画から春画までをこなす一方、自分だけの光と色を追い続けた女絵師・応為の生涯を描く作品。2017年にはNHKでドラマ化されている。

    3. Ⅲ.長沢芦雪「白象黒牛図屏風」 『ごんたくれ』 西條奈加

  3. 休憩

    モンドリアン「コンポジション」(作品名は書かれていませんが、「コンポジション」らしき作品が登場します) 『うさこちゃん びじゅつかんへいく』 ディック ブルーナ

    あるひ おかあさんが いいました。いいこと かんがえたわ。びじゅつかんへ いこうと おもうの。いっしょに いきたいひと いる?

    うさこちゃんが、お父さん、お母さんと、三人ではじめて美術館へ行くお話です。本物そっくりのリンゴの絵を観たり、うさこちゃんにそっくりな青いうさぎの彫刻を見たりして、うさこちゃんは大満足で帰りました。そして、思いました。大きくなったら画家になるの!

  4. 第二部・洋画を読む

    1. 『暗幕のゲルニカ』表紙

      Ⅰ.ピカソ「ゲルニカ」 『暗幕のゲルニカ』 原田マハ

      ――芸術をなんであると、君は思っているのだ?
      画面の中からピカソの声がした。
      芸術は、飾りではない。敵に立ち向かうための武器なのだ。
      私は闘う。断固、闘う。この世界から戦争がなくなるその日まで。戦争そのものと。

      反戦のシンボルにして20世紀を代表する絵画「ゲルニカ」。国連本部に飾られていたこの名画のタペストリーが2003年のある日、突然姿を消した――。MoMAのキュレーター八神瑤子は、ピカソの名画を巡る陰謀に巻き込まれていく。
      故国・スペイン内戦下に想像した「ゲルニカ」に、画家は何を託したのか?

    2. Ⅱ.ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 『月と六ペンス』 サマセット・モーム

    3. Ⅲ.ゴッホ「赤いブドウ畑」 『ファン・ゴッホの手紙』

  5. 第三部・「美」を支える

    1. 『モネ、ゴッホ、ピカソも治療した絵のお医者さん』表紙

      Ⅰ.モネ「睡蓮」 『モネ、ゴッホ、ピカソも治療した絵のお医者さん』 原田マハ

      私は世界一、絵にやさしい修復をしたいと思っています。世界で通用するような技術で、「これはキクコがやった修復だ」、と言われるような修復ができるようになりたい。作家の魂を未来に残すために、作家の思いによりそい、作家の意図したことを伝え、作品にとって最善の状態を保つ修復をしたいと思っています。

      NHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」にも登場した絵画修復家・岩井希久子さん。モネやピカソの作品やディズニーのセル画など、実際に修復に携わった数多くの作品のエピソードを交えつつ、絵画修復の現場を紹介してくれる一冊です。
      岩井さんの仕事への情熱と使命感に心打たれます。

    2. Ⅱ.ルドン「眼をとじて」 『ミュージアムの女』 宇佐江みつこ

「津島」を描いた画家 杉本健吉

「杉本健吉」という名前を聞いたことはありますか?名鉄電車に乗っている時に「杉本美術館」の中吊り広告を目にして、名前だけは知っているという方も多いかと思います。杉本健吉は、津島第一尋常小学校(現在の津島市立南小学校)を卒業した津島市に縁の深い画家です。
今回「図書館文化祭」のオマケとして、“「津島」を描いた画家・杉本健吉 ” について紹介したいと思います。

一、杉本健吉を知る。

さて、今から3つの画像をお見せします。

「青柳ういろう」ロゴマーク

「青柳ういろう」ロゴマーク

名古屋市営地下鉄のシンボルマーク

「名古屋市営地下鉄」シンボルマーク

名鉄タクシーの車輌

「名鉄タクシー」の車両

3つとも、この地域に住む人であれば見たことのあるものばかりだと思います。
実は、これらは全て杉本健吉がデザインしたもの。杉本健吉は画家としてだけでなく、現代風にいえばグラフィック・デザイナーとしても多くの作品を残しています。

もちろん、画家としても多くの作品を残しています。奈良を舞台に多くの作品を描いたことから「奈良の杉本」と呼ばれており、33年にわたって東大寺の絵馬を描いたことでも知られています。
他に、1950年から「週刊朝日」に連載された吉川英治作『新・平家物語』で挿絵を担当。『新・平家物語』は戦後を代表するベストセラー小説で、1972年にはNHK大河ドラマの原作にもなっています。

二、津島で育つ。

杉本健吉は、1905(明治38)年に名古屋市矢場町で生まれました。父は人形浄瑠璃三味線師匠の杉本銀四郎。
1912(大正元)年に四日市第一尋常小学校へ入学したものの、父の転居に伴い名古屋、大垣、笹島と転校を重ね、1918(大正7)年に津島第一尋常小学校(現在の津島市立南小学校)を卒業しています。

杉本健吉の才能は小学生の頃から発揮されていて、しばしば学校の代表に選ばれていました。
小学校時代に知人からニュートン社の絵の具4本を貰い、その絵の具で描いた作品が現在も杉本美術館に所蔵されています。

津島第一尋常小学校杉本健吉が通った津島第一尋常小学校

そのひとつが「津島千本松原」。
ハガキの1.5倍ほどの小さなサイズの風景作品ですが、油絵の特質である色を何層も重ねる画法が用いられていて、小学生の手によるものとは思えない出来栄えです。

「津島千本松原」「津島千本松原」1917年 油絵・板【提供:杉本美術館】

天王川公園などで写生をしている折に、やはり津島出身で東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業した洋画家・加藤静児氏に、よく出会ったそうです。
加藤氏については、杉本健吉が進路を相談したところ「絵では食べていけないから絵は趣味にして、職業としては図案家の勉強をしなさい」とすすめられ、愛知県立工業学校図案科に進学した、という話が残っています。

三、津島を描く。

1928(昭和3)年、23才の杉本健吉は津島町公会堂で初個展を開催します。
人生はじめての個展の会場が津島であったことに、杉本健吉と津島の縁を感じますね。

その後も、杉本健吉は天王祭、津島神社、天王川公園などを題材に多くの作品を描いています。
皆さんにもお馴染みの津島の風景を、杉本健吉がどのように描いているのか、覗いてみましょう。

津島町公会堂 外観

初個展を開催した津島町公会堂

「津島神社社頭」

「津島神社社頭」製作年不詳 油絵・板

「津島池須大銀杏と加藤写真館」

「津島池須大銀杏と加藤写真館」1916年 油絵・板

「津島天王祭」

「津島天王祭」1961年 油絵・キャンバス

【提供:杉本美術館】

四、津島へ還る。

2000(平成12)年11月3日、津島市立図書館の開館記念事業として、母校・南小学校の体育館でトークショーを開催。市民ら約500人を前に、「私の津島」と題して小島廣次さんとの対談を披露しました。
杉本健吉、御年95才の声に耳を傾けてみましょう。

話題の中心となるのは、やはり小学生時代の思い出

まず、小学校当時の恩師・羽柴時太郎先生について。
「羽柴時太郎先生がいなかったら、私は絵描きにはなっていない。」と話しています。

続いて話題になったのが、小学生時代に描いた絵について。卒業記念の水彩画と久しぶりに対面して、こう語っています。

うまいねぇ。昔よく張り出しをされて、それが嬉しくてね。子どもの時に張り出しをしてくれるのはねぇ、いいものだよ。だから褒めなきゃだめだよ。

また、津島をモチーフとした作品を多く描いていることについて。

津島を第二の故郷として大事にしていたねぇ。津島へはリュックを背負って、イーゼルを首から下げてよく出掛けたもんだよ。

杉本健吉の津島への想いが伝わってきますね。

杉本健吉画伯の本は、「ふじいろ文庫」のコーナーにあります。是非併せてご覧ください。

津島市立図書館開館記念式典での杉本氏
津島市立図書館開館記念式典での杉本氏
津島市立図書館開館記念式典での杉本氏

コーナー5「おいしいおはなし」

しょくよくの秋、どくしょの秋。
おいしいおはなしで、おなかも心もまんぷくに。

台風21号接近に伴う開館予定について

台風21号の接近による開館時間の変更について

台風21号が09月04日(火)午後に東海地方に最接近するとの予報が出されています。
図書館利用者の安全確保のため、暴風警報発令時は全館臨時休館といたします。

暴風警報が解除された場合、解除された時間帯により開館時間が変更となりますのでご注意ください。

暴風警報の解除時間 開館時間
7時までに解除 平常通り開館
7~11時までに解除 13時から開館
11~13時までに解除 15時から開館
13~15時までに解除 17時から開館
15時を過ぎても解除されない場合 休館

企画展示「津島祭礼図屏風展」

企画展示「津島祭礼図屏風展」

平成30年7月3日(火)、特定非営利活動法人京都文化協会とキヤノン株式会社の共同事業「綴プロジェクト(正式名称:文化財未来継承プロジェクト)」の第11期作品として、大英博物館が所蔵する「津島祭礼図屏風」が題材に取り上げられ、制作された高精細複製品が津島市と愛西市に寄贈されました。
9月3日より9月13日まで、津島市立図書館にて展示を行っています。

企画展示「津島祭礼図屏風展」
企画展示「津島祭礼図屏風展」
企画展示「津島祭礼図屏風展」
企画展示「津島祭礼図屏風展」
企画展示「津島祭礼図屏風展」
企画展示「津島祭礼図屏風展」

コーナー7「9月の本」

そろそろ夏も終わりです。『9月に関する本』を集めました

「9月の本」コーナー
「9月の本」コーナーの本
「9月の本」コーナーの本

入口ゲート付近のコーナー7では、9月に関する本を集めた『9月の本』を展開しています。
今後、毎月ごと季節に合った本を紹介していく予定です。

  • お米

    秋は実りの季節。果物やきのこ類、サツマイモなどの根菜類のほか、新米がお店に並び始める季節です。稲作農家は、少しでも品質のよいお米をたくさん作るために稲の世話はもちろん、田んぼの整備や水の管理などにも注意を払います。「コシヒカリ」や「あきたこまち」をはじめ、日本には正式に品種登録されているだけでも500種以上のお米があるそうです。
    お米は、日本人の食卓になくてはならないもの。「いただきます」と「ごちそうさま」の言葉を忘れずに、感謝の気持ちを持ってご飯をいただきましょう。

  • 防災

    9月1日は「防災の日」です。1923(大正12)年のこの日、関東大震災が起きたことから1960(昭和35)年に定められ、毎年各地で災害に備えて訓練を行っています。
    もともと9月1日は、立春から数えて210日目にあたる「二百十日」にあたり、昔から台風がよく上陸するとされていました。1959(昭和34)年の9月に発生した伊勢湾台風は、東海地方を中心に高潮、暴風、河川の氾濫などで死者4697名、行方不明者401名という甚大な被害を出しました。これは、日本の台風による死者・行方不明者では過去最大の被害です。

  • 宝くじ

    9月2日は「宝くじの日」です。「く・じ」の語呂合わせで、1967(昭和42)年に第一勧業銀行(現・みずほ銀行)が9月2日を「宝くじの日」と制定しました。以来、毎年この日にちなみ、手元の宝くじ券が当選していないか、宝くじ当せん金の引き換え漏れがないかの再確認を呼びかけています。
    また、毎年「宝くじの日」には「宝くじの日・お楽しみ抽せん」として過去1年間の宝くじハズレ券を対象に、もう一度抽せんを行うハズレ券の敗者復活戦が行われます。ただし、「お楽しみ抽せん」で貰えるのは現金ではなくて景品です。とはいえ、お米や電化製品など実用的なものから選ぶことができるので、皆さんも宝くじを買ったら外れても1年間は保管することをオススメします。

  • 古墳

    1985(昭和60)年9月25日、奈良県斑鳩町の法隆寺西南約350mにある藤ノ木古墳で「横穴式石室」と、全面朱塗りの「家形石棺」が発見されたことから、9月25日は「藤ノ木古墳記念日」とされています。藤ノ木古墳は、奈良県生駒郡斑鳩町にある円形の古墳(円墳)であり、未盗掘で埋葬当時の姿がほぼそのまま残っていたため、当時の埋葬儀礼を解明する上で貴重な資料となりました。
    ところで、「埴輪(はにわ)」と「土偶」の違い、皆さんはご存知でしょうか?「土偶」は縄文時代に作られた用途が解明されていない土製品であるのに対し、「埴輪」は古墳に並べるために作られた土製の焼き物。使用された時代も、目的もまるで違うものだそう。“はに丸とひんべえ”は古墳時代の生まれということになりますね。

  • ブラジル

    9月7日は「ブラジル独立記念日」です。
    1822年のこの日、初代ブラジル皇帝・ペドロ1世が宗主国ポルトガルからの独立を宣言しました。この独立宣言はペドロ1世がサンパウロ・イピランガの丘で剣を天にかざして「独立か死か!」と叫んだ劇的な宣言で、「イピランガの叫び」と呼ばれています。
    「イピランガの叫び」は絵画になっているほか、ブラジル国歌の冒頭でも「♪ 静かなるイピランガの岸辺は開いた」と歌われています。このブラジル国歌は、2014年のサッカー・ワールドカップで約1分間の伴奏が終わっても選手・サポーターがアカペラで高らかに歌い上げたことでも話題となりました。

  • 9月6日は「黒の日」です。「く(9)ろ(6)」=「黒」の語呂合わせから「黒染めの日」として、1989年に京都市黒染工業組合が制定しました。黒紋服や黒留袖の普及を図ることを目的として、伝統染色の黒染めをPRする日となっています。近年では「黒」を拡大解釈する流れが進み、食品・流通業界では「黒いものを食べて元気になろう」というキャンペーンが行われるほか、色黒で有名な歌手の松崎しげるさんが「黒フェス」と題した「白黒歌合戦」を行うそうです。
    図書館でも食品・流通業界にならって、「黒」にちなんだ本を並べて「黒い本を読んで楽しもう」というキャンペーンをちょっぴり実施してみます。気軽に楽しんで頂ければ、と思います。

  • 万年筆

    1809年9月23日、イギリスのフレデリック・バーソロミュー・フォルシュが万年筆の元となるペンを発明して特許を取得したことから、9月23日は「万年筆の日」とされています。
    それまで使用されていた羽根ペンは書くたびにインク瓶からインクをつけて書かなくてはならなかったため、ペンにインクを溜めておける「万年筆」の登場は画期的なもので、「Fountain pen(=泉のペン)」などと呼ばれました。
    普段はパソコンに向かって原稿を書くことが多い現在ですが、万年筆を格好良く使いこなす大人には、やはり憧れますね。

  • 動物愛護

    9月20日から9月26日は「動物愛護週間」です。「動物愛護週間」は、国民の間に広く動物の愛護と適正な飼養についての理解と関心を深めてもらうため、動物の愛護及び管理に関する法律(いわゆる動物愛護法)によって定められたものです。
    犬や猫などのペットがいる生活は、私たちの暮らしに潤いや楽しみをもたらします。しかし、ペットを飼うということは「命を預かる」ということでもあり、大きな責任を伴います。この機会に、人と動物が仲良く暮らすためにはどうしたら良いのか、あらためて考えてみてはいかがでしょうか。すべての「命」に対して、優しくありたいものです。

  • 敬老の日

    「敬老の日」は、1965年に「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」として法律で定められました。私たちよりも遥かに長い時間を生きて多くの経験をしてきたお年寄りからは、たくさんのことを学ぶことができます。
    もともと「敬老の日」は、聖徳太子が身寄りのないお年寄りや病人の世話をする「悲田院(ひでんいん)」を建てた日と伝えられる9月15日でしたが、2001年の「祝日法改正」によって現在では9月の第3月曜日となっています。今年は9月17日が「敬老の日」となります。

  • 旧暦の8月15日前後の満月の夜を「十五夜」といい、今年は9月24日にあたります。「十五夜」は一年で最も月が綺麗な夜とされ、お供えものをして月を眺める「お月見」をする風習があります。旧暦の8月15日はちょうど秋の真ん中にあたるので、十五夜の月は「中秋の名月」ともいわれます。
    月見の風習は中国から伝わったもので、奈良時代や平安時代には貴族の間で音楽を演奏したり、歌を詠んだりして、お月見が華やかに行われていました。

「追悼・さくらももこさん」をコーナー7に追加

追悼・さくらももこさん

さくらももこさんが2018年8月15日に53歳で亡くなられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

追悼といたしまして、現在「8月の本」展開中の入口側コーナー7に、さくらももこさんの著作を集めました。
9月中旬まで展開予定です。どうぞご覧ください。

さくら ももこ

1965年、静岡県清水市生まれ。84年に漫画家デビュー。86年に月刊女性漫画誌「りぼん」で『ちびまる子ちゃん』の連載を開始。
昭和40年代に小学3年生だった自分自身をモデルに、まる子とその家族、友人たちの日常をユーモアたっぷりに描き、講談社漫画賞(少女部門)を受賞。90年にはフジテレビ系でアニメ化され社会現象に。自らが作詞し、B.B.クィーンズが歌ったテーマ曲「おどるポンポコリン」は同年130万枚を超える大ヒットとなった。
エッセイストとしても活躍し、91年から刊行した『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』の三部作は3年連続で100万部を超えるミリオンセラーとなった。8月15日、乳がんのため死去。

「まるちゃん」と私たち

――わたしはさくらももこです。 わたし小さかったから“チビ丸”に 女の子だから“子”をつけて“ちびまる子ちゃん”なんて呼ばれていたの。1986年、漫画「ちびまる子ちゃん」は、こんな書き出しではじまりました。
家族、学校、好きなアイドル、昨日見たテレビ番組……毎回の漫画で取り上げられるのは私たちと同じような日常のこと。時には福引きに当たって南の島を旅するなんて羨ましい出来事もありましたが、お父さんとお母さんがケンカしてドキドキしたり、予算300円で遠足のおやつを買うことに真剣になったり……私たちと同じ小学生の女の子の毎日が『ちびまる子ちゃん』にはありました。「まるちゃん」が生きていた昭和40年代の清水市の空と、私たちが暮らしているこの町の空は、きっと繋がっていたのだと思います。
さくらももこさんは残念ながら亡くなってしまいましたが、まるちゃんはこれからもつづくアニメ放送で(津島市立図書館ではアニメのDVDを所蔵しています)、そして私たちの心の中でずっと生き続けます。ありがとう、さくらももこ先生。まるちゃん、またね!

特設コーナー「ようこそ奥山景布子先生」

全作品ガイド

  1. 一.「古」を読む。

    『源平六花撰』表紙

    『源平六花撰』(2009)

    「来し方のことは忘れよと、神仏が我らに仰せなのかもしれぬ」

    『平家物語』を基に、源氏・平家にまつわる六人の女性を主人公とした短編集。源義朝の愛妾だった常葉、鹿ヶ谷の陰謀が露見して配流となった俊寛たちが出会った千鳥、屋島の合戦で那須与一が射抜いた扇を持っていた松虫と妹の鈴虫――。彼女たちの「選択」を鮮やかに描く。オール讀物新人賞受賞作『平家蟹異聞』収録。

    『恋衣 とばすがたり』表紙

    『恋衣 とばすがたり』(2009)

    「酷いことを言っているのは、十分、よく分かっている」

    後深草院二条が遺した草紙(日記)を、父・西園寺実兼から手渡された二条の一人娘・露子。
    “草紙を読む”という形で、離れて育った娘の視点から、母・二条の数奇な人生を描く作品。宮廷を舞台に“愛”に翻弄される女性としての母、そして自ら“出家”という運命を選んだ母。草紙には、母の秘密が綴られていた。

    『時平の桜、菅公の梅』表紙

    『時平の桜、菅公の梅』(2011)

    「私は逃げませぬ。すべては、背負って参りましょう」

    孤高の俊才・菅原道真と、若き貴公子・藤原時平。身分も年齢も違う二人は互いを認めつつも、やがて残酷な因縁に辿り着く。国の頂きを目指した男たちの熱き戦いの行方は?千年以上も昔の出来事を題材としているのにも関わらず、現代の政治闘争にも通じる物語。“歴史小説“にして極上の“政治小説”ともいえる一作。

  2. 二.「愛」を読む。

    『びいどろの火』表紙

    『びいどろの火』(2011)

    「また逢ってくれますね。……無茶を言うなと怒りなさいますか」

    幼いころ母を亡くした佐登は、血は繋がらないものの心通わせる武家の家族に囲まれて、ひっそりと生きてきた。ある日、ふとしたことで知り合った呉服商・菱屋善兵衛に見込まれ、若主人・善吉の女房となる。佐登は戸惑いつつも新しい生活に踏み出したが、思いがけない障壁が現れる。善吉は、佐登に心惹かれているのに、佐登の肌に触れることができないのだ。やがて、佐登は旅興行の歌舞伎役者・志のぶと許されぬ恋に堕ちる――。恋という「火」に魅入られる瞬間を鮮やかに描く一冊。

    『キサキの大仏』表紙

    『キサキの大仏』(2012)

    「いただきたいものがあります。この日の本で、我が君さましかお持ちでないものを」
    と、そなたは言ったのだよ。そうして続けたのだ。
    「天子の孤独を、私に分けていただきたいのです」

    内憂外患の渦巻く天平時代、皇族以外から最初に皇后になった光明皇后こと安宿(あすかべ)。国のため、そして国の未来のため、巨大な御仏を造りたい――。夫・聖武天皇の理解者は光明皇后ただ一人。奈良の東大寺大仏に秘められた夫婦愛の物語。

  3. 三.「運命」を読む。

    『太閤の能楽師』表紙

    『太閤の能楽師』(2014)

    「ではなんだ。ごちゃごちゃ申すな。一言で申せ。能が、儂に何かもたらすか?」
    ぱしり。秀吉の手にあった扇が再び鳴った。
    「はい、それは……それは」 何か言わなくては。何か。
    「神に、なれまする」 自分でも予期せぬ言葉が口を突いて出た。

    “太閤秀吉を能に没頭させよ――”その密命がどこから下ったのか、その目的も知らぬまま天下人・秀吉に接近する能楽師・新九郎。史実にミステリーの要素を絡めつつ、能の世界観や、秀吉の人柄も見事に引き出した一作。秀吉の描かれ方も秀逸です。

    『音わざ吹き寄せ 稽古長屋』表紙

    『音わざ吹き寄せ 稽古長屋』(2014)

    「兄さん、どうかした?」 お久が遠くから、遠慮がちに声をかけてきた。
    「いや、何でもない」 熱くなる目の底を、袖でそっと押さえる。
    「お久。一曲、やらないか」

    ほんの四年前まで女形の役者をしていた音四郎は、足に怪我を負って舞台を去り、今は長唄の師匠として江戸の外れ、元吉原の北・長谷川町で稽古屋の看板を掲げている。三味線の師匠で妹のお久、女中のお光の三人を中心に、身の回りで起こる事件が静かに描かれていくなか、音四郎の怪我の真相も明らかに――。

  4. 四.「情」を読む。

    『たらふくつるてん』表紙

    『たらふくつるてん』(2015)

    「んでもって、俺たちは絶対、死なず捕まらず、ずっと“面白きを面白き”で行くんだ。おまえは人を笑わすのが、何より好きな業突く張りなんだから」

    京の塗師(ぬし)・武平は職場にも家庭にも居場所がなく、楽しみは浄瑠璃や芝居といった見世物を観ること。退屈な毎日をやり過ごしていたが、ある事件に巻き込まれたことをきっかけに京を追われてしまう。逃れた先の江戸で出会った絵師の石川流宣(とものぶ)らに導かれ、武平は噺家の道を進むことに――。
    「江戸落語の始祖」といわれた鹿野武左衛門(しかの・ぶざえもん)の半生をテンポよく描いた一作。

    『寄席品川清洲亭』表紙

    『寄席品川清洲亭』(2017)

    ――ああ、みんな良い顔してるなぁ。
    帰っていく客の顔を見ながら、秀八は自分もゆったりとした気分になった。

    時は幕末、ペリー来航直後の品川宿。落語好きが高じて、寄席の開業を思い立った大工の棟梁・秀八。腕はいいが、喧嘩っ早い。駆け落ちして一緒になったおえいは、団子屋を切り盛りするしっかり者の恋女房。幕末の品川を舞台に、小さな寄席をめぐる悲喜こもごもを描く一冊。さて、寄席は無事に開くのか?作中に登場する亀松鷺大夫、亀松燕治の「尾張弁」にも注目!

  5. 五.「みらい」を読む。

    「集英社みらい文庫」伝記シリーズ

    「若い読者の皆さんの、入門の第一歩を手助けできれば」

    奥山先生が、熱い思いを込めて書かれている児童向けの伝記シリーズ。現在9冊が刊行され、刷を重ねる人気となっています。
    「このシリーズを書くことで、勉強し直し、歴史を物語としてどう伝えるのかも、改めて考える機会になりました。」と奥山先生はインタビューで語っています。子どもから大人まで、是非手に取って頂きたいシリーズです。

  6. 六.「津島」を読む。

    奥山先生の作品には「津島」が登場する作品が幾つかあります。
    『音わざ吹き寄せ 稽古長屋』では、津島市民のソウルフード・“くつわ”を囓る場面が登場します。少し覗いてみましょう。

    紙包みを開けると、茶色の揚げ菓子がごとごとっと現れた。
    ――おや、この菓子は。
    「いただきます」
    「ああ、お光さん、与吉も。この菓子は、いきなり歯に当ててはならぬ」
    行儀良く手を合わせて食べようとした二人を、難丸は思わず制した。
    「これはな、くつわと言って、大層固い。そのつもりで噛まぬと、顎がびっくりする」
    楕円の輪のような形の端っこを今にも勢いよく囓ろうとしていたお光が、目を丸くして菓子を持ち直し、そっと口に入れた。与吉も横でまねをしている。
    「ほんとだ、かたあい」
    ごりっと潔い歯の音をさせると、お光がころころと笑った。歯ごたえが面白いのか、与吉も躍起になって囓っている。
    「おこしより固いなんて。与吉坊、子どもの歯が抜けるかも。でも先生、よくご存じですね。お武家のお弟子さんが持ってきてくれたお菓子なんだけど」
    (中略)
    ――尾張藩の、若造かな。
    くつわは尾州津島天王社の名物である。尾張のご城下には、芝居や見世物の多くかかる繁華な場所があるから、芝居狂いの若者が出ても不思議ではない。

    “くつわ”を囓る音が、「ごりっと」と表現されていることに、共感する人も多いのではないでしょうか?
    他にも『びいどろの火』では、場面そのものは名古屋の州崎神社を描いたものですが、“天王祭”が登場します。今年の“天王祭・宵祭”は、台風のため残念ながら中止となってしまいましたが、小説を読んで“巻藁船”をご覧になってみてはいかがでしょうか。

『葵の残葉』を読む。

『葵の残葉』あらすじ

『葵の残葉』表紙

「余も、そなたたちも、どこへ行こうと、何があろうと、まごうことなき、葵の末葉だ。
いかなる時も、それを忘れぬように。良いな」

明治11(1878)年9月3日、正装に身を包んだ四人の紳士が銀座の写真館に集まり、記念写真を撮る場面から物語は始まる。彼らは、尾張徳川家当主・徳川慶勝(よしかつ)、一橋徳川家当主・徳川茂栄(もちはる)、会津松平家当主・松平容保(かたもり)、そして桑名松平家当主・松平定敬(さだあき)。徳川傍系の美濃高須松平家の当主松平義建(よしたつ)を父とし、それぞれ藩主となった「高須四兄弟」である。
激動の幕末、尾張藩主・徳川慶勝を主人公に、幕府派と倒幕派に分かれ対立しながらも、新時代の礎を築いた“葵の残葉”たる最後の徳川の殿様・高須四兄弟の運命と苦悩を描く歴史小説。第37回新田次郎文学賞受賞作品。

「青松葉事件」とは?

慶応4(1868)年1月20日、名古屋城内で発生した佐幕派の渡辺新左衛門(わたなべ・しんざえもん)ら重臣十四士を「朝命により死を賜(たま)ふものなり」の一言で粛清し、勤皇を表明した事件のこと。これにより藩内が勤王倒幕の立場に統一され、尾張藩は新政府側に立って旧幕府軍と戦うことになった。『葵の残葉』では、重要な場面に登場する「事件」である。

写真は、名古屋城二之丸広場に建つ“青松葉事件の碑“。

青松葉事件の碑

幕末を駆け抜けた高須四兄弟

尾張徳川家の分家・高須松平家に生まれた慶勝には、敵味方に分かれて戦った茂徳、容保、定敬の三人の弟がいる。その中でも茂徳は、慶勝の次に尾張藩主に就き、慶勝の側近を一掃して大老・井伊直弼に従う方針を示した。井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」の後、慶勝が藩政に復帰すると藩内で対立が起こり、藩政は混乱。その後、茂徳は尾張藩を出て、一橋徳川家を継ぐ。

容保は会津松平家を継ぎ、京都守護職として新選組を傘下に置いて活躍したが、慶勝とは長州処分をめぐって対立。また定敬は、鳥羽・伏見の戦いで薩長両藩に挑んだものの敗走し、後に新政府側に捕らえられた。

新政府側に立っているため、表立って徳川方の救済活動ができない慶勝に代わって、容保と定敬の助命嘆願に奔走したのが茂徳だと言われている。容保と定敬の謹慎が解除されたのは、明治5(1872)年のことだった。

高須四兄弟の家系図
(クリックで拡大)

徳川慶勝肖像写真
徳川慶勝・肖像写真
『ナゴヤ歴史探検』より

高須四兄弟肖像写真
高須四兄弟(右から)
徳川慶勝、徳川茂栄、松平容保、松平定敬
『ナゴヤ歴史探検』より

もっと読む、『葵の残葉』

『葵の残葉』をもっと楽しむための作品を紹介します。まずは、奥山先生が書かれた『葵の残葉』スピンオフ作品から。

『pen+ 名古屋城から始める、名古屋カルチャー・クルーズ』表紙

『名古屋城金鯱哀話』 『pen+ 名古屋城から始める、名古屋カルチャー・クルーズ』掲載作品(2018)

明治12年、梅香る庭園で多くの人間が“こちら”を仰ぎ見ている。“こちら”とは、名古屋城の天守閣に上がった金鯱の夫婦。そう、この物語の主人公は“名古屋弁を喋る金鯱の夫婦”。
――ああ、やっと帰ってこれたがね……。金鯱の夫婦は春の日差しに包まれながら、お互いの無事と再会を言祝ぎ合い十年前の記憶を語り始める――「お殿さまが、しきりにあの箱を抱えてりゃぁた頃」のことを。さて、「お殿さま」の正体は?

『時代小説ザ・ベスト2017』表紙

『鈴の恋文』 『時代小説ザ・ベスト2017』掲載作品(2017)

12の短編を収める時代小説アンソロジーの一作『鈴の恋文』。遊女・鈴の心中を描く作品ですが、ここでは鈴に恋文の代筆を頼まれた女郎屋の客人・彦四郎に注目を。
彦四郎の本当の身分は、美濃高須藩家臣。尾張藩主に美濃高須藩の次男・秀之助を擁立すべく連絡役を引き受けていたが、書状を紛失してしまったため身を隠しているという『葵の残葉』前夜を描いた作品です。「次男・秀之助」が誰を指すのかは、分かりますよね?

徳川慶勝を主人公とした小説には、名古屋市出身の作家・城山三郎さんが書かれた『冬の派閥』(1982)があります。幕末の尾張藩内の派閥抗争、明治維新以降に開拓のため北海道に入植した家臣の辛苦、そして組織と人間の在り方を問う名作です。
また、徳川慶勝について、もっと知りたい方には『写真家大名・徳川慶勝の幕末維新』を、徳川慶勝が撮った写真をたくさん見たいという方には『写真集 尾張徳川家の幕末維新』をそれぞれオススメします。幕末の尾張藩の歴史を分かりやすくまとめているのは、その名もずばり『幕末の尾張藩』。これらの関連本も是非ご覧ください。『葵の残葉』の世界、もっと楽しみましょう。

「ふじいろ文庫」をリニューアルしました

詩人・野口米次郎は『ヨネ・ノグチ物語 野口米次郎自伝(原題:THE STORY OF YONE NOGUCHI)』において、故郷・津島を「紫の風たなびく町」と著しました。

若き日の野口米次郎もその頬に受けた「紫の風」に思いを寄せて、「ふじいろ文庫」と題して津島ゆかりの人物8名の作品を集めた郷土資料コーナーを設けました。
津島をもっと好きになる一冊、探してみませんか?

リニューアルに伴って、設置場所を育児コーナーの裏側に移動しました。

ふじいろ文庫リニューアル 全体写真
ふじいろ文庫リニューアル 作家別
ふじいろ文庫リニューアル 作家別
ふじいろ文庫リニューアル 作家別

コーナー7「8月の本」

いよいよ夏も真っ盛り。『8月に関する本』を集めました

「8月の本」コーナー

「8月の本」コーナーの本

「8月の本」コーナーの本

入口ゲート付近のコーナー7では、8月に関する本を集めた『8月の本』を展開しています。
今後、毎月ごと季節に合った本を紹介していく予定です。

  • お盆

    日本の夏を代表する季節行事の「お盆」。期間は地域によって異なりますが、旧暦の7月15日を中心に行う先祖を供養する行事で、仏教の「盂蘭盆会(うらぼんえ)」を省略して「お盆」と呼ぶようになったといわれています。お盆の歴史は古く、推古天皇の時代の606年に朝廷で、はじめて行われたようです。
    一般的に、13日は祖先を迎える「迎え盆」、16日は祖先を送り出す「送り盆」を行います。この間、家庭では「盆棚」を飾って祖先を迎えます。地域や宗派によって様々な風習がありますが、京都の「五山(ござん)の送り火」は、送り盆に行う「送り火」の一種です。また、盆踊りも先祖や一年以内に亡くなった霊をなぐさめ、送り出すためのものです。伝統ある行事には、それぞれ大切な意味があり、大切な人への思いもあるのですね。

  • 冷たいおやつ

    8月2日は「おやつの日」です。日本のおやつの魅力と文化を広め、多くの人と笑顔あふれるおやつの時間を共有したいという思いから、日本おやつ協会が制定しました。
    「おやつ」という言葉の語源は、江戸時代に一日二食が一般的だった頃に遡ります。和時計の時刻で「八つ刻(やつどき・現在の午後2時~3時頃)」に小昼という間食を摂っていました。その間食を「おやつ」と呼ぶようになり、やがて間食全般を「おやつ」と呼ぶようになったそうです。
    8月といえば、夏真っ盛り。見た目にも涼しく、口に入れるとひんやりとする「冷たいおやつ」は夏の暑さを和らげてくれるはず。今年の8月2日、午後3時には「冷たいおやつ」の時間を楽しんでみてはいかがでしょうか。

  • 8月11日は「山の日」です。山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝することを趣旨として、2016年に制定されました。日本には、富士山をはじめとするたくさんの山があり、日本の国土の約7割が山地で占められています。日本人は古くから山を崇め、恵みを享受し、自然と共に生きてきました。
    「山の日」の前後にはハイキングや山遊びなど、数多くのイベントが行われます。「山の日」をきっかけに、身近な山に親しんでみてはいかがでしょうか。もちろん安全第一。マナーをきちんと守って、山を楽しみましょう。

  • 昆虫採集

    昆虫採集が楽しみな季節がやってきました。
    子どもの頃に家の周りのチョウやトンボを捕まえた経験はきっと誰にでもあるはず。「虫が嫌い」という人も多いかと思いますが、昆虫は私たちのそばにいる身近な存在であり、自然について教えてくれる“先生”でもあります。今年の夏に昆虫採集に挑戦する子どもの参考になる本や、かつて昆虫採集に夢中になっていた元・昆虫少年が懐かしさを感じる本を集めました。
    ただし、今年は連日猛暑が続いています。熱中症には十分注意して、昆虫採集を楽しむようにしましょう。

  • 8月23日は「油の日」です。「油の日」は京都にある離宮(りきゅう)八幡宮と油問屋を営む企業によって定められました。
    離宮八幡宮は、鎌倉時代から朝廷に油の専売特許を得る「油租」とされていたことで有名で、油を搾油する「長木(ながき)」という装置を開発してエゴマ油を製油していました。これが日本で初めての大規模な搾油のはじまりであるとされ、このことから離宮八幡宮は搾油発祥の地といわれています。
    搾油をはじめた当初、油は神社の燈明用として用いられる大変に貴重なものでした。現在では油は私たちにとって身近な存在となり、健康に役立つオイルの研究もさかんに行われています。

  • 花火

    夏になると、豪華な打ち上げ花火を見物したり、庭や川原で花火を楽しんだり――。花火は、日本の夏の風物詩として広く知られていますが、もともとは中国から伝わったといわれています。
    花火の原料となる火薬は、戦国時代にはもっぱら武器に使われる貴重な存在でしたが、戦国の世も終わり平和が訪れると武器以外の様々な用途に利用されるようになりました。
    花火もその一つで、江戸時代には花火業者や大名の配下の火薬職人たちがより美しい花火を作るために試行錯誤し、競い合って発展させてきたのです。花火はまさに、戦のない平和な世の中に訪れた“平和の象徴”なのかもしれませんね。

  • 室町幕府

    1338(暦応元)年8月11日、足利尊氏は征夷大将軍に任命され室町幕府を開きました。その後、織田信長の登場まで室町幕府は足利氏が15代にわたって将軍職を継承します。
    ところで、近年は空前の“室町ブーム”といわれており、2016年に出版された呉座勇一さんの『応仁の乱』が30万部を突破の大ヒットを記録したほか、亀田俊和さんの『観応の擾乱』も昨年大きな話題となりました。
    歴史教科書では足利尊氏の征夷大将軍就任後の争乱は「南北朝時代」と一括りにされて詳しく紹介されていませんでしたが、若手研究者の台頭によりこれまで「地味」だと言われ続けていた室町時代に大きな注目が集まっています。この“室町ブーム”、本を読んで体感してみてはいかがでしょうか。

  • 箸?橋??

    8月4日は「8(ハ)4(シ)」の語呂合わせから、「箸の日」でもあり「橋の日」でもあります。
    まず「箸の日」。「箸を正しく使おう」という民俗学者の提唱で1975年に割り箸組合が制定したとされています。東京の日枝神社では、毎年8月4日に長さ1mの大きな箸を神前に供え、古い箸を焼いて供養する箸供養祭が行われています。
    続いて「橋の日」。私たちの生活と文化に密接なかかわりを持つ川や橋に感謝し、橋や河川とのふれあいの日にすることを目的に、宮崎県の橋の日実行委員会が1986年に制定しました。
    どちらの記念日も甲乙つけがたく、今回は思いきって「箸の本」も「橋の本」も並べてみました。どちらも気軽にお楽しみ頂ければ、と思います。

  • 帽子

    8月10日は「8(ハッ)10(ト)」の語呂合わせで「帽子の日」です。日本では被りもののほとんどを「帽子」と呼びますが、英語では鍔(つば)が全体にある帽子を「hat(ハット)」、鍔がない、もしくは鍔が小さい帽子を「cap(キャップ)」と呼び分けています。
    帽子の歴史はとても古く、原始時代には帽子の類似品や、その前身とみられる被りものがあったといわれています。古代の帽子は、階級の象徴、もしくは頭を保護するためのものでしたが、文化の発展にともないファッションアイテムへと変化していきました。
    街中に出れば、帽子を被っている人を見かけないことはありません。自分をより魅力的に見せてくれる、自分だけの帽子を探してみてはいかがでしょうか。

  • 平和について

    1945(昭和20)年8月6日は広島市に、9日には長崎市に原子爆弾が投下され、多くの人が亡くなりました。8月15日、日本はポツダム宣言を受け入れ、太平洋戦争が終結しました。8月は、私たちにとっては大切な月です。あらためて、「平和」について考えてみましょう。本がそのきっかけとなれば、と願いをこめて紹介したいと思います。

企画展示「津島祭礼図屏風展」

企画展示「津島祭礼図屏風展」

平成30年7月3日(火)、特定非営利活動法人京都文化協会とキヤノン株式会社の共同事業「綴プロジェクト(正式名称:文化財未来継承プロジェクト)」の第11期作品として、大英博物館が所蔵する「津島祭礼図屏風」が題材に取り上げられ、制作された高精細複製品が津島市と愛西市に寄贈されました。
7月22日より8月3日まで、津島市立図書館にて展示を行っています。

企画展示「津島祭礼図屏風展」
企画展示「津島祭礼図屏風展」
企画展示「津島祭礼図屏風展」
企画展示「津島祭礼図屏風展」
企画展示「津島祭礼図屏風展」
企画展示「津島祭礼図屏風展」

平成30年度 1日図書館員 当選発表

当選者番号

8月1日(水曜日) 6 22 36 40
8月2日(木曜日) 13 17 33 39
8月3日(金曜日) 18 21 28 神守2
8月6日(月曜日) 10 26 神守4 神守5
8月7日(火曜日) 12 19 31 神守1

今年もたくさんのご応募ありがとうございました。
みんなと一緒にしごとができるのを楽しみにしています!

コーナー7「7月の本」

暑い夏の始まりです。『7月に関する本』を集めました

「7月の本」コーナー全体
「7月の本」コーナーの本
「7月の本」コーナーの本

入口ゲート付近のコーナー7では、7月に関する本を集めた『7月の本』を展開しています。
今後、毎月ごと季節に合った本を紹介していく予定です。

  • 伊能忠敬

    1821年7月10日、伊能忠敬が17年をかけて日本中を歩き測量して作った、日本初の精密な地図『大日本沿海輿地(えんかいよち)全図』が幕府に献上されました(忠敬は3年前に亡くなったので、弟子たちが完成させました)。忠敬が、天文学を学ぼうと江戸に出て、19歳年下の天文学者・高橋至時に弟子入りしたのは、隠居後の50歳。日本全国へ測量の旅に出発したのが55歳と聞くと、その姿は高齢化社会を生きる私たちにヒントを与えてくれそうです。2018年は忠敬が亡くなってから200年目の節目の年にあたります。私たちも、年齢を理由にせずにどんどん新しいことに挑戦していきたいものです。忠敬の偉業とあわせて、地図にまつわる本もご紹介します。

  • お中元

    日頃、お世話になっている方に感謝の気持ちを伝える「お中元」は、日本の夏の風物詩。
    この「お中元」の「中元」という言葉は、中国の道教において祭日とされている「三元」のひとつ「中元」を由来としています。道教での「中元」は、旧暦7月15日。この日は贖罪の日とされており、一日中火を焚いて神様をまつる風習がありました。旧暦7月15日は「盂蘭盆会(うらぼんえ)・お盆」と同じ日であったため、二つの行事を平行して行う中、先祖を敬う行事がお世話になった人に尊敬や感謝の気持ちを表すものに変化し、さらに、その贈り物の品物自体を「お中元」と呼ぶようになったそうです。「言葉に歴史あり」ですね。

  • 杉原千畝

    1940年7月25日、リトアニア日本領事代理の杉原千畝(すぎはら ちうね)は、外務省に反してビザを発給し、6000人もの命を救いました。第二次世界大戦が始まる前年、ナチスの迫害から逃れるべくオランダ領に脱出を望んだ数百人のユダヤ人が、日本の通過ビザを求めてきました。千畝は外務省に掛け合いましたが、拒否されました。しかし、自分の判断でビザを発給し、ユダヤ人を脱出させたのです。これは「命のビザ」と呼ばれ、後年イスラエルから「諸国民の中の正義の人賞」が贈られました。
    後年、千畝は「私のしたことは、外交官としては間違ったことだったかもしれない。しかし私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。そして、それは人間としては正しい行動だった」と語っています。

  • 四谷怪談

    1825年7月26日。江戸の中村座にて、四代目鶴屋南北の代表作である『東海道四谷怪談』が初めて歌舞伎で演じられました。恨みを持ったまま死んだ女性「お岩さん」が幽霊となって夫らを悩ませるという怪談です。四谷怪談は、その頃に本当にあった事件を基にしており、公演は大成功だったそうです。
    ところで、この四谷怪談は「忠臣蔵」のスピンオフ、いわば「忠臣蔵外伝」にあたる作品で、お岩さんは塩谷判官(浅野内匠頭)の家臣の娘にあたります。
    また現在では、この日は「幽霊の日」として制定されています。幽霊の日にちなんで、ひんやりと涼しさを感じる作品も紹介します。
    7月21日(土)夜7時半から、図書館でも「こわいおはなし会」が開催されます。こちらも是非ご参加下さい。

  • 7月16日は「海の日」です。1996年に「海洋国家として広く国民に海への関心を求める日」として休日に定められました。また、7月前半に本州では「海開き」が行なわれ、さまざまなイベントが開かれます。「海開き」の初日には、海水浴シーズン中の安全と繁盛を祈願し、神主による神事や安全祈願祭が行われることが多いようです。
    今年も暑い夏がやって来ます。安全には十分に気をつけて、海のレジャーを楽しみましょう。

  • 夏野菜

    野菜の中で、特に夏期に収穫されるものを夏野菜といいます。
    7月になると、スーパーなどでは、夏野菜が野菜売り場を色鮮やかに彩ります。夏野菜の代表は、キュウリ、ナス、トマト、ゴーヤ、オクラ、トウモロコシ、ズッキーニなど。これらの野菜は、カロテン、ビタミンC、ビタミンEなどを多く含み、夏バテに効果があります。
    美味しいだけでなく、栄養価も高い旬の「夏野菜」を積極的に取り入れて、元気な夏を過ごしましょう。

  • パリ

    1789年7月14日、パリの民衆がバスティーユ監獄を襲ったことをきっかけに「フランス革命」が始まりました。この頃、フランスは王族達が贅沢をし、民衆から重税を取り立てていました。ルイ16世は財政を立て直すため、僧侶、貴族、平民の代表を集めて話し合おうとしますが、平民たちは国民会議を作ります。これを武力で抑え込んだため、民衆が怒り、武器を手にバスティーユへ向かったのです。現在では、この日はフランス各地で花火が打ち上げられるなど、多くのイベントが行われるそうです。
    日本では、この日を映画「巴里祭」の邦題から「パリ祭」と呼びますが、これは日本だけの呼び名。フランスでは単に「Quatorze Juillet(7月14日の意)」と呼びます。パリ祭にちなんで、津島出身・金子光晴の『ねむれ巴里』をはじめ、パリにまつわる本もご紹介します。

  • サン=テグジュペリ

    世界中の人々に愛されている童話『星の王子さま』の作者、フランス人の小説家でパイロットのサン=テグジュペリが1944年7月31日、行方不明になりました。第二次世界大戦中、ナチス軍の偵察をするために連合国軍のパイロットとしてコルシカ島を離陸し、北アフリカ上空で墜落。そのまま消息を絶ったのです。それから50年以上が経った2000年、サン=テグジュペリが乗っていた航空機の残骸が地中海で発見され、話題となりました。
    『星の王子さま』は、総販売部数1億5千万冊を超え、世界中で愛されるロングセラーとなっています。「かんじんなことは、目に見えないんだよ」や「子どもたちだけが自分が何を探しているか知っているんだね」などの言葉が、今も私たちの心に響く『星の王子さま』をはじめ、サン=テグジュペリの世界に触れる本もご紹介します。

  • ゆかた

    七夕の日、女の子は色のついた糸を結んだ7本の針と瓜を供えて裁縫の上達を祈り、衣類に感謝していたという中国の故事「乞巧奠(きっこうでん)」。この慣習にちなんで、1981(昭和56)年に日本ゆかた連合会が7月7日を「ゆかたの日」と定めました。
    平安時代、お風呂に入る時に着ていた「湯帷子(ゆかたびら)」が「ゆかた」のルーツといわれていますが、現在ではゆかたでお洒落をして出掛けることが夏のお楽しみとなっている方も多いはず。
    7月28日(土)・29日(日)は尾張津島天王祭がおこなわれます。今年の天王祭は「ゆかた」でお洒落を楽しんでみてはいかがでしょうか。

  • ラーメン

    7月11日は「7」をレンゲ、「11」を箸に見立てたことと、日本で最初にラーメンを食べたとされる水戸光圀(水戸黄門)の誕生日が1628年7月11日であることから、2007年に「ラーメンの日」と制定されました。
    実は「ラーメン」にまつわる記念日はたくさんあります。世界初のインスタントラーメンが発売された8月25日が「即席ラーメン記念日」、10月2日が「トンコツ」の語呂合わせから「豚骨ラーメンの日」、4月10日が「ホット」の語呂合わせから「辛ラーメンの日」など……。それだけラーメンには多くの楽しみ方があり、私たちの暮らしにすっかり馴染んだ「日本食」となっている証拠なのかもしれません。

一日図書館員募集のお知らせ

図書館のお仕事を体験してみよう!

今年も一日図書館員の募集を行います。
本の貸出やコンピュータでの検索など図書館の仕事を体験してみませんか?

日時

8月1日(水)~3日(金)、6日(月)、7日(火) 各日13:30~16:30

対象

小学3年生~6年生

定員

20人(各日4人)

申込方法

  • 応募期間は7月14日(土)~16日(月・祝)です
  • 津島市立図書館本館、神守分室にてご応募ください(申込用紙に記入していただきます)
  • 後日抽選を行い、当選者にハガキにてご連絡します

コーナー8「図書館体育祭」

そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。(2013年IOC総会でのパラリンピック選手・佐藤真海さんのスピーチより)





今年は、6月にサッカー・ワールドカップがロシアで行われ、8月には夏の甲子園が100回記念大会を迎えます。
さらに来年、2019年はラグビー・ワールドカップが日本で開催、2020年には東京オリンピックパラリンピック……これから数年は大きなスポーツイベントが続き、当然世間で大きな話題となるはず。

津島市立図書館でもこのスポーツイベントの波に乗っかりたい、いや、あやかりたい!ということでスポーツをテーマにした特集を企画しました。選手の心に迫る自伝や、スポーツをテーマにした小説、トレーニング術など、スポーツにまつわる本を集めて紹介しています。
運動が好きなあなたも、体育の授業が嫌いだったあなたも、この夏は、図書館でいざスポーツ三昧!

  • 2018.06.19.
    サッカー・ロシアワールドカップ 日本 対 コロンビア

    今年6月、サッカー・ロシアワールドカップが開幕します。日本の初戦は6月19日。相手は、前回ブラジル大会で大敗したコロンビア。日本にとっては、今回も厳しい戦いとなりそうです。
    しかし、考えてみましょう。“日本中にプロのサッカークラブが誕生し、代表チームがワールドカップの常連となる”――ほんの数十年前に、そんな未来を口にすれば、“夢物語”と一笑に付されたはずです。日本サッカー界にとって、ワールドカップに初出場した1998年フランス大会から始まる歴史は、アジアの壁を打ち破り、世界の舞台に羽ばたいた“躍進”の時代と言えるはず。次の時代、さらなる高みを目指すためには、より険しい道のりが待っているのは、ある意味当然のこと。今大会、日本代表の前評判は決して高くはありませんが、それを覆す旋風が起こることを期待しましょう。

    チームを強くするのは、チームとしてプレーできる者だけだ。一人や二人の偉大な選手がいても、チームにはかなわない。偉大なチームとは、偉大な選手を抱えるチームではない。一丸となってプレーできるチームのことだ。

    『モウリーニョのリーダー論』

    サッカーの本

  • 2018.08.05.
    第100回 全国高等学校野球選手権大会 開会式

    大阪の豊中グラウンドで始まった、「全国高校野球選手権」は、兵庫の鳴尾、甲子園と球場を変え、“一スポーツ大会”を超えた国民的行事“夏の甲子園”に成長しました。大会は、戦争による中断を挟みながらも、今夏100回を迎えます。
    第100回記念大会は、史上最多の56代表校が出場。愛知県からも「東愛知」「西愛知」の2地区代表校が出場し、「始球式リレー」などのイベントも行われる予定です。開幕は、8月5日(日)。21日の決勝まで、どんなドラマが“夏の甲子園”で繰り広げられるでしょうか?
    今年も、日本に暑い夏がやって来ます。

    甲子園は天才も待っているが 甲子園は努力で磨いた普通を いちばん待っている 自分の汗の量を知る人 自分の涙の重さを知る人 自分の夢の大きさを知る人 自分の心の強さを知る人 そんな人を待っている それが 諸君たちだ

    『甲子園の詩 敗れざる君たちへ』阿久 悠

  • 2019.09.20.
    ラグビー・ワールドカップ・ジャパン 日本 対 ロシア

    2019年に日本で開催されるラグビー・ワールドカップは、アジアではじめて開かれるラグビー・ワールドカップです。ここ愛知県でも、豊田スタジアムが戦いの舞台に選ばれています。
    前回、2015年イングランド大会初戦で、日本がワールドカップ2度優勝の南アフリカを34-32で破った一戦は、“ブライトンの奇跡”とよばれ、史上最大の番狂わせと言われました。あれから4年後の2019年――。前回大会は1次リーグで3勝を挙げながら、勝ち点差で決勝トーナメントに進めなかった日本が目指すのは“奇跡”を上回る成果。そう、初の決勝トーナメント進出です。過去4勝22敗2分けと世界を相手に苦戦してきた日本代表は、地元での躍進を期して強化を進めています。

    「ラグビーは真横か後ろにしかパスを放れない。前進したいのに、前へは投げられない。こんな難儀なスポーツは、なかなかないと思うよ」 宇田津は笑った。「後退しながら前へ進もうとする。まるで人生みたいじゃないか」 「なるほど」 二階堂は飄々とした目を窓の外へ向けると、それきり黙りこくった。

    『不惑のスクラム』安藤 祐介

    ラグビーの本

  • 2020.07.24.
    東京オリンピック・2020 開会式

    2013年9月7日、アルゼンチン・ブエノスアイレスで開催されたIOC(国際オリンピック委員会)総会にて、2020年夏季オリンピック・パラリンピックが東京で開催されることが決まりました。
    1964年以来、56年ぶりに夏のオリンピック・パラリンピックが日本にやって来ます。2020年なんてまだまだ先だと思っていたのに、気が付けばあと2年。世界の注目を集める夏までのカウントダウンは、すでに始まっています。
    これまで、メイン会場となる新国立競技場の設計の問題や、エンブレム決定までの騒動が話題となってしまいましたが、ここでもう一度、「平和とスポーツの祭典=オリンピック」の原点に振り返るべきではないでしょうか?オリンピックは、競技に全てを賭ける選手たちのためにあるのですから。

    優れたプレゼンテーション、そしてスピーチには、必ず力強いストーリーがあります。けれど、ストーリーは特別な人生を送った人だけのものではありません。誰しもが、個人的なストーリーを持っているはずです。

    『世界を動かすプレゼン力 日本はこうしてオリンピックを勝ち取った!』

  • 2020.08.25.
    東京パラリンピック・2020 開会式

    「パラリンピック」の起源は、1948年7月にイギリスのストーク・マンデビル病院で行われた、車椅子使用者のためのアーチェリー大会「ストーク・マンデビル競技大会」です。この大会は、戦争で負傷した兵士たちのリハビリを目的としたもので、毎年開催されるうちに多くの賛同者が集まり、やがて国際大会となりました。
    “障がい者スポーツの父”といわれるグットマン博士の言葉に、「失ったものを数えるな、残された機能を最大限に活かせ」というものがあります。その言葉どおり、パラリンピックに出場する選手たちはみな、障がいがあっても、自分の可能性を諦めることなく、より高いパフォーマンスを求めて、挑戦を続けています。

    たとえ強靭な足を与えられても、ゴールに向かうのは己の心だ。それができなければ、この競技用義足も宝の持ち腐れにしかならない。走れ。走れ。走れ。腕を大きく振り、ストライドを大きくする。どうせちぐはぐな走りだから、フォームのことは頭にない。とにかく全力で走り切る。

    『翼がなくても』 中山 七里

    パラリンピックの本

  • 1957.08.14.
    津島商工・甲子園出場 津島商工-岐阜商業

    昭和32(1957)年の夏――。
    緊張した面持ちで甲子園球場を背に写真に写っているのは、県立津島商工高校(現在の津島北高校)野球部。
    この年、彼らは私たち津島市民の夢を乗せて、夏の甲子園出場を果たしました。
    今から61年前、そうずいぶん前のこと。
    でも、忘れられない夏の物語です。

    津島商工高校と野球部のあゆみ

    昭和26(1951)年 4月
    愛知県立津島工業高等学校、現在の津島文化会館がある場所に開校。
    昭和28(1953)年 4月
    商業科を併設して、愛知県立津島商工高等学校と改称。
    同年 12月
    津島市又吉町(現在の北高校がある場所)に校舎を移転。広大な土地にグラウンドが確保できたため、「軟式野球部」結成。
    昭和30(1955)年 4月
    野球部長に藤井政二氏を迎える。「硬式野球部」に切り替え。
    昭和32(1957)年 4月
    熱血漢の内藤昭八監督を迎える。
    同年 6月
    第4回春季全尾張高校野球大会・優勝。
    同年 8月
    愛知県高校野球大会優勝。甲子園出場。
    昭和51(1976)年 4月
    工業系の学科を切り離し(愛知県立佐織工業高校として独立)、津島北高等学校と改称、現在に至る。

    昭和32年7~8月の県大会・全国大会(甲子園)出場選手

    部長 藤井政二 54歳 立正大学 県下各校の野球部を28年間指導。
    監督 内藤昭八 24歳 同志社大学 情熱溢れる若き指導者。
    主将 黒宮支朗 3年 木曽岬中学 服部投手のライト転向により補欠となる
    投手 8番 安藤和彦 2年 佐織中学 大会直前に正投手になったばかり。制球力抜群。
    捕手 3番 飯田賢一 3年 神守中学 安藤投手を良くリードした
    一塁 6番 水谷敏麿 1年 八開中学 県大会決勝戦では殊勲打
    二塁 9番 浅野兼治 3年 七宝中学 堅実な守備が評価
    三塁 1番 橋本薫映 2年 祖父江中学 県大会では毎試合安打で最多安打
    遊撃 5番 鯉淵進 3年 甚目寺中学 県大会4回戦で9回逆転劇の立役者
    左翼 7番 鈴木弘 2年 甚目寺中学 県大会5回戦を突破した立役者
    中堅 2番 坂井田隆行 3年 弥富中学 「鳥人」といわれた程の好守備。
    右翼 4番 服部興一 3年 七宝中学 元・正投手。直前に肘を痛めたためライト転向
    補一 石原陸弘 3年 蟹江中学 県大会の序盤で活躍
    補投 加藤静 2年 天王中学 全国大会で中山選手に代わって選手登録
    浅野忠男 2年 天王中学 この大会では出場機会がなかった
    補投 河竹次夫 1年 七宝中学 3番手投手。今大会では出場機会がなかった
    中山孝 2年 弥富中学 県大会では出場機会がなかった

    1957.07.22.
    地区予選2回戦 津島商工 19-3 惟信(豊橋球場)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    惟信 0 0 2 0 1 × × × × 3
    津島商工 3 13 3 0 × × × × × 19

    1回戦は不戦勝だったため、この試合が初戦。
    惟信の先発・前田投手が絶不調。続く2人目投手の不調もあり、5回コールドの大勝。2回裏には、全員四球・全員得点の13点を挙げる記録も生まれた。
    ちなみに、この試合の津島商工の応援は鈴木PTA会長ただ一人だった。

    1957.07.27.
    地区予選3回戦 津島商工 3-1 起工業(鳴海球場)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    津島商工 1 1 0 0 1 0 0 0 0 3
    起工業 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1

    1回表、1番の橋本選手が2塁打。その後、1アウト3塁となり、ホームスチールに成功。2回、5回にも追加点を重ねた。安藤投手の好投と起工業の走塁失敗もあり、勝利を収めた。

    1957.07.31.
    地区予選4回戦 津島商工 4-2 向陽(鳴海球場)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    津島商工 0 0 0 0 1 0 0 0 3 4
    向陽 0 2 0 0 0 0 0 0 0 2

    2回裏、エラーから2点を向陽に献上。向陽の鬼頭投手は終始津島を圧倒したが、9回表に鯉渕選手の2塁打から反撃。送りバントで守備を攪乱し、3点を取って見事な逆転勝ち。

    1957.08.01.
    地区予選準々決勝 津島商工 4-1 一宮(鳴海球場)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    一宮 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1
    津島商工 0 1 0 0 0 3 0 0 × 4

    一宮はDグループ最強豪との評判だったが、津島商工が一方的に試合を進める番狂わせを演じ、スタンドの大喝采を浴びた。6回には飯田選手、鯉淵選手のヒットと水谷選手の犠打フライで追加点。さらに鈴木選手の好打で3点目。
    この試合から津島市議団も応援に参加。応援旗がないため、この年作ったばかりの市章旗を振り回して声援を送った。

    1957.08.02.
    地区予選準決勝 津島商工 4-0 時習館(鳴海球場)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    時習館 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
    津島商工 2 0 0 1 0 0 1 0 × 4

    試合前は「時習館の準決勝は妥当であるが、津島商工は予想外というほかはない」という評価だったが、津島商工が初回から強豪・時習館を圧倒する「大番狂わせ」。1回裏に先頭打者の橋本選手がヒット。飯田・服部選手の安打で2点を先制。4回、7回にも追加点を加え、時習館の戸田投手の速球を崩した。

    1957.08.03.
    地区予選決勝 津島商工 2-0 中京商業(鳴海球場)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    津島商工 0 0 0 0 0 0 0 2 0 2
    中京商業 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

    安藤投手を中心にがっちりまとまったチームワークで津島商工が終始押しまくった。8回表、津島商工は飯田選手のヒットを足掛かりに水谷選手の安打で先制点。鈴木選手の安打と相手のエラーで2点目。この2点を守りきって見事に勝利し、甲子園出場を決めた。
    津島商工創立7年目、野球部発足から3年の快挙!おめでとう!!

    8月4日の中日新聞朝刊

    御年80歳の水谷市長以下、500人が駆け付けた

    赤いタスキをつけた急造の応援団

    優勝祝賀会。歓声が聞こえてきそう!

    甲子園まで

    • 1.校歌がない!

      甲子園出場が決まった8月3日、津島商工は主催する朝日新聞社から校歌の提出を求められた。しかし、創立7年目の津島商工にはまだ校歌がなく、急きょ稲垣信全教頭が作詞を手掛け、津島出身のNHK管弦楽団の相羽実氏に作曲を依頼。8月4日夜には全て完成し、翌日提出した。

      こうした例は他になかったため、全国でも紹介された。甲子園の出場校が一晩で校歌をつくるという離れ業は、大会の歴史でおそらく初めてのことだろう。

      津島商工校歌

      木曽の流れに 培はれ
      伊吹の嶺に 励まされ
      ここ尾張野に 屹然と
      立てる学び舎 津島商工

      商と工とを 経緯に
      織り成す錦 一筋に
      たがへぬ願ひ 永遠に
      繋けし学び舎 津島商工

      希望の翼 商と工
      はばたくところ勤労の
      聖なる精神活かさんと
      誓ふ学び舎 津島商工

      津島商工校歌の歌詞。一晩で作詞したとは思えない出来ばえ!!

      「校歌作曲にまつわる想い出・相羽 実」

      昭和32年8月本校野球部が中京商業を下して甲子園出場を決めたとき、大変なさわぎでした。(-中略-)教頭の稲垣信全先生が突然私のバイオリン、ピアノレッスン場(瑞泉寺津島幼稚園)に息をはずませて来られたのです。お話を聞いてみますと、甲子園出場に備えほとんどのものは用意できたが、校歌だけがどうにも出来ぬ、しかも明日朝日新聞社に提出しなければならないと言う急な話でした。校歌作曲と言えば2、3ヵ月ぐらいの余裕が有るのが普通で、これはえらい事だとびっくり。しかし緊急の場合でしたので、この名誉ある作曲の大任を引受けました。

      『愛知県立津島商工高等学校史』より

    • 2.女子応援団長、誕生

      県大会を進む中で、一宮戦から応援団を急ごしらえ。
      当初は応援歌がなかったため、「フレー、フレー」の掛け声のみだった。決勝前日の8月2日に応援歌を作成し、翌3日の午前中に練習。午後の決勝に間に合わせた。
      応援団も8月6日に正式に結成。団長は小林節子さんと立松喜代子さん。「女子応援団長2人」は、当時でも異色の存在だったと思われる。

      写真は津島駅前で応援を披露する津島商工応援団。見よ、この勇姿を!

    • 3.期待高まる津島市民――

      甲子園出発前日の8月7日、天王川公園にて、津島市を挙げての壮行会が行われた。出発日の8月8日は、必勝を祈願して津島神社へ参拝した後、朝日新聞社のニュースカー・ニューポリーに乗って天王通りを行進。津島駅前では、今はなき“津島駅前広場”を埋め尽くした津島市民の熱烈な見送りを受けた。

      壮行会・御年80歳の水谷市長から花束贈呈

      津島駅前広場にて見送り。スゴイ人!

      津島駅構内は「押すな押すな」の大混雑

    • 4.実は、旅館は……

      8月8日夕方、津島商工野球部は甲子園に到着。そのまま球場を見学し、その後宿舎の富士旅館へ。
      この富士旅館、実は決勝の対戦相手・中京商業が県大会優勝を確信し、早くから予約していた宿舎だった。つまり、津島商工は宿舎の予約を中京商業から譲り受けたのである。

      写真は富士旅館前にてポーズを決める野球部員。

    • 5.まさかの組み合わせ抽選!

      8月10日、甲子園の組み合わせ抽選会が行われた。
      抽選会前日に“茶目っ気十分”の1年生・水谷選手が「優勝候補の早実か岐商に会いたいなァ……。一回戦を勝てば優勝だョ」と皆を笑わせ、新聞にも掲載される。そして当日、水谷選手の予言どおり(?)、一回戦で岐阜商との対戦が決定!

      組み合わせ決定を報じる新聞

      水谷選手のコメントが皆を笑わせる。しかし……

    さぁ、いよいよ甲子園だ!

    1957.08.12.
    開会式

    入場行進が行われ、黒宮主将以下、登録選手14人が堂々と入場行進を果たした。

    甲子園での入場行進

    大観衆が入場行進を見守る

    全23校、整列!

    1957.08.13.
    大応援団出発

    8月13日夜10時、津島市から観光バス30台の大応援団が甲子園に向けて出発。
    市民の応援申込は定員を大幅に超え、断るのが大変だったという。

    バス代は入場料込みで1人700円。鉄道利用者を加え、応援団は1500人以上に膨れ上がった。
    14日午前6時、観光バス30台は350㎞を走破し、無事に甲子園球場に到着。

    応援団到着。さっそく甲子園前で練習

    1957.08.14.
    全国高等学校野球大会1回戦 津島商工 0-7 岐阜商業(甲子園球場)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    津島商工 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
    岐阜商業 0 0 0 2 4 0 0 1 × 7

    優勝候補の岐阜商相手にどこまで食い下がれるかが注目されたが、津島商工の安藤投手はカーブにキレがなく、高めの球を狙い打ちされた。
    対する岐阜商は打っては毎回安打、守ってはエース清沢投手が絶好調。津島商工打線はノーヒット・ノーランに抑え込まれ、完敗を喫してしまった。選手も応援団も、出来たばかりの校歌を一生懸命に練習して甲子園に臨んだが、一度も校歌を歌うことなく敗退してしまったのである。

    いざ、プレイボール

    清沢投手に翻弄される打撃陣

    力投する安藤投手

    対戦を終えたスコアボード

    三塁側応援席。応援団長の勇姿に注目!


    翌日の中スポでノーヒット・ノーランが話題に

    15日の中日新聞では津島商工の健闘を伝える

    1957.08.15.
    津島への帰還

    津島商工野球部は午前11時40分の特急列車に乗り、帰路に就いた。
    午後3時、津島駅に到着。すっかり日焼けした野球部員たちを家族、級友、そして津島市民が出迎えた。一同はそのまま津島市役所へ挨拶に立ち寄り、竹内市助役からは「敗れたとはいえ、郷土津島の名を全国にあげて下さったナインに厚く感謝する」と温かい言葉を送った。
    その後、津島神社に参拝して帰校。市の肝煎りで心尽くしの夕食会で甲子園の思い出を語り合った後、解散。懐かしのわが家に引き揚げた。

    天王通りを進む津島商工野球部

    津島市役所にて労いを受ける

    その後の津島商工野球部

    昭和32年以降も藤井監督と内藤監督の熱心な指導は続けられ、津島商工野球部は愛知県の強豪校として知られるようになった。昭和36(1961)年・39(1964)年の愛知県大会はベスト4、40(1965)年大会の愛知県大会では決勝戦まで勝ち進んでいる。

    しかし「2度目の甲子園」の夢が叶うことはないまま、昭和51(1976)年に工業系の学科を切り離し(愛知県立佐織工業高校として独立)、津島北高校と改称した。

コーナー7「6月の本」

『6月に関する本』を集めました

「6月の本」コーナー全体
「6月の本」コーナー掲示
「6月の本」コーナーの本

入口ゲート付近のコーナー7では、6月に関する本を集めた『6月の本』を展開しています。
今後、毎月ごと季節に合った本を紹介していく予定です。

  • 梅しごと

    「梅雨」の語源には「ウメの実が熟す時期に降る雨」という説もあるそうです。
    さて、梅雨の到来とともに、今年も「梅しごと」の季節がはじまります。スーパーなどに青梅が並ぶこの時期に、ぜひチャレンジして頂きたいのが自家製の梅干や梅酒、梅シロップ作り。丁寧に作れば長期保存ができ、さらに漬けるほど美味しくなっていくのが「梅しごと」の醍醐味です。梅の爽やかな香りに包まれながらの「梅しごと」、一度体験してみてはいかがでしょう。梅雨の季節も楽しみになるかもしれません。

  • 結婚式

    「6月に結婚した花嫁は幸せになれる」という言い伝えを、「ジューンブライド(June Bride)」といいます。意味や由来については諸説ありますが、ギリシャ神話に登場する神主ゼウスの妃で結婚や出産を司る女神「ユノ(Juno)」が守護する月が6月であることから、この月に結婚すると生涯幸せに暮らせるといわれています。
    また、ヨーロッパの6月は日本とは違って雨が少なく、まるでユノが結婚を祝福してくれているように感じられるので、この言い伝えが広まったという説もあります。

  • 6月の第3日曜日は「父の日」。今年は6月17日に当たります。
    「父の日」は、いつも仕事を頑張っているお父さんに感謝する日ですが、その由来は1909年にアメリカのドット夫人が、自分たち6人の子どもを男手一つで育ててくれた父親のために牧師に礼拝をしてもらったことが始まりとされています。
    また、ドット夫人が父親のお墓に白いバラをそなえたことから、父の日にはバラの花を贈る習慣が生まれたそうです。
    5月の「母の日」に比べると、今ひとつ認知度の低い「父の日」ですが、普段はなかなか言えない感謝の気持ちを、お父さんに伝えるきっかけにしてみてはいかがでしょう。

  • 衣替え

    衣替えは、中国で旧暦の4月1日と10月1日に夏服と冬服を入れ替えていたことから始まった習慣です。日本には平安時代に伝わりました。最初は貴族だけの習慣で年2回、夏と冬に替えるだけでしたが、江戸時代には年4回になり、季節ごとに着るものも細かく決まっていました。明治維新後に旧暦から新暦になり、それに合わせて夏服は6月1日~9月30日、冬服が10月1日~5月31日となり、6月1日と10月1日が衣替えとなりました。
    学校や官公庁、制服のある会社などは、現在もこの日をめどに衣替えを行っていますが、近年は「クールビズ」の推進によって、衣替えの時期も少しずつ早くなっているようです。

  • アインシュタイン

    1905年6月30日、アインシュタインはドイツの物理雑誌に「特殊相対性理論」を発表しました。当時のタイトルは「動いている物体の電気力学」。「特殊相対性理論」とは、光の速さを基準にして時間を定義したもので、光速に近づくと時間の流れが遅くなるといった、時間や空間が伸びたり縮んだりすることを発見しました。アインシュタインのこの発見は、その後の物理学の世界に大きな影響を与えました。
    ところで、「物理」という言葉を聞くと身構えてしまう人も多いかと思いますが、アインシュタインは数多くの名言を残していることでも知られています。「失敗したことがない人間は、挑戦をしたことのない人間である」という言葉や「誰かのために生きることにのみ、生きる価値がある」などの言葉は、今を生きる私たちの心にも響きます。

  • ビートルズ

    1966年6月29日、イギリスのロックグループ・ビートルズ(The Beatles)が来日しました。到着は28日夕方の予定でしたが、台風で飛行機が11時間ほど遅れ、29日の午前3時半ごろに到着しました。
    当時、柔道や剣道など日本古来の武道の競技場である日本武道館でロックコンサートを行うことは批判されていましたが、記者会見で尋ねられると、ポール・マッカートニーは「もし、日本の武道団がイギリスの王立劇場に出演しても、それがイギリスの伝統を汚すことにはならないと思う。私たちもあなた方と同じように伝統を重んじる。」と返したそうです。
    昨年放送されたNHK朝の連続テレビ小説「ひよっこ」では、ビートルズ来日のエピソードが取り上げられました。初来日から50年以上経ちましたが、ビートルズは今も輝くスターです。

  • 牛乳

    6月1日は、食糧危機対策として牛乳の資源に注目した国連食糧農業機関(FAO)が提唱した「牛乳の日(World Milk Day)」です。
    世界の人口は2050年には90億人に達すると予測されており、世界の人々が生きていくためには食糧生産量を増やす必要があります。そこで、FAOは厳しい気候・環境でも生産でき、栄養豊富な牛乳に着目。牛乳という資源の重要性と、世界が抱える食糧問題へ意識を向けることを目的に「牛乳の日」を設立しました。協賛国は年々増えており、2016年には世界40カ国以上の国が「ミルクレース」や「ミルクメイト総選挙」など「牛乳の日」にちなんだイベントを行っているほか、今年は世界中で「ミルクで乾杯!」している写真をSNSに投稿することで、「牛乳の日」を盛り上げる企画も行われているそうです。

  • 火山

    1991年6月3日、長崎県島原市の雲仙普賢岳で、大規模な火砕流が発生しました。当時、避難地区を守っていた消防団員や警察官、新聞記者などが火砕流に巻き込まれ、死者・行方不明者43人の被害が出ました。その後も噴火は続き、終息宣言が出たのは1996年のことでした。また、同年6月9日には、フィリピンで20世紀最大の火山噴火といわれる「ピナツボ火山噴火」が発生し、大量の火山灰のために世界中の太陽の日射量が長期間にわたり減少したそうです。
    火山噴火は、地震や台風と並んで大変な被害をもたらす自然災害ですが、火山は温泉や地熱発電など、生活に恵みをもたらす存在でもあります。この機会に「火山」について考えてみてはいかがでしょうか。

  • 6月10日は時の記念日です。日本最古の歴史書『日本書紀』には、西暦671年に天智天皇が唐から伝えられたという漏刻(ろうこく、水時計)を建造し、その漏刻で「時の奏(太鼓や鐘を打って時をしらせること)」を行ったとあります。この日が、現在の太陽暦に直すと6月10日だったことから、時の記念日が定められました。
    英語でも「Time is Money」ということわざがあるように、時間とは誰にとっても大切なもの。時の記念日をきっかけに、大切な時間についても考えてみてはいかがでしょうか。「時」がテーマとなっている小説も合わせて紹介します。

  • 暦のうえで梅雨がはじまる日を「入梅」といい、今年は6月11日にあたります。農作業をする上で、雨期を知ることはとても重要なことなので、江戸時代に暦の上で目安として「入梅」が設けられました。
    この時期になると細かい雨が降り、空気が湿ってじめじめとした天気が続きます。しかし、梅雨の雨は恵みの雨―、これから作物がすくすく育っていくためには、必要なものです。

2018年度 課題図書の貸出が始まりました

ちいさいこはおとなのひととみてね

課題図書リスト

小学生

1・2年生

3・4年生

5・6年生

「追悼・津本陽さん」をコーナー7に追加

津本陽さんが 2018年5月26日に89歳で亡くなられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

追悼といたしまして、現在「5月の本」展開中の入口側コーナー7に、津本陽さんの著作を集めました。
6月下旬まで展開予定です。どうぞご覧ください。

津本 陽(つもと よう)

1929年、和歌山県生まれ。大阪の肥料メーカー勤務後、富士正晴、島尾敏雄らの同人誌「VIKING」に参加。78年、明治期に滅びゆく紀州古式捕鯨を描いた『深重(じんじゅう)の海』で直木賞を受賞。『明治撃剣会』『薩南示現流』など、剣道三段、抜刀術五段の心得を生かした迫真の殺陣描写で剣豪小説に新境地を開いた。80年代後半には、初めて手がけた歴史小説『下天は夢か』を新聞連載。史料を駆使し、革新的な合理主義者としての織田信長の思考や行動を緻密に分析。方言を使う地方色豊かな織田信長像は、ビジネスマンらに支持され、累計200万部を超えるミリオンセラーとなった。95年に秀吉を描いた『夢のまた夢』で吉川英治文学賞。多作でも知られ、今年4月に体調を崩す直前まで執筆を続けていた。5月26日、死去。

本のリサイクルのお知らせ

図書館で使われなくなった本のリサイクルをします

6月9日(土)から、図書館で使われなくなった本のリサイクルを行いますので、ご利用ください。
本がなくなり次第終了します。

書籍のみ、雑誌はありません。おひとり様5点までとさせていただきます。

「追悼・かこさとしさん」をコーナー5に追加

追悼・かこさとしさん

かこさとしさんが 2018年5月2日に92歳で亡くなられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

追悼といたしまして、現在「“こどもの本”総選挙」展開中の児童室入口側コーナー5にかこさとしさんの著作を集めました。
6月下旬まで展開予定です。どうぞご覧ください。

かこ さとし

1926年3月、福井県国高村(現・越前市)生まれ。工学博士。技術士(化学)。ペンネームの「里子」は、高校時代に使用していた俳号が由来。東京大学工学部卒業後、昭和電工の研究所に勤めるかたわら、子供会などで絵本や紙芝居等を手作りする。
1959年、『だむのおじさんたち』(「こどものとも」1959年1月号)で絵本作家デビュー。以降、「だるまちゃん」シリーズ(福音館書店)、『からすのパンやさん』とその子どもたちが主人公のつづきのおはなし4作(偕成社)、『かわ』『はははのはなし』(福音館書店)などの科学絵本・知識絵本、『伝承遊び考』(全4巻・小峰書店)など子どもの文化・遊びの研究といった著作まで幅広く執筆し、その数は600点余りにのぼる。
2007年児童福祉文化賞特別部門、2008年菊池寛賞、2017年巌谷小波文芸賞ほかの受賞歴を持つ。2018年5月、慢性腎不全のため死去。享年92歳。

企画展示「天王祭能人形展」

企画展示「天王祭能人形展」

天王祭協賛会のご協力により、今年の船に置かれる実物の能人形を図書館入り口通路にて展示中です。能人形を近くで見られる貴重な機会です。是非ご覧下さい。

「能人形(置物)」とは?

天王祭・朝祭の山車に飾られる絢爛豪華な能衣装・面を着けた等身大の能人形のことを「置物」といいます。能の演目に登場する人物中より、シテ(主役)・ワキ(脇役)を選び、シテを大屋台に、ワキを小屋台に置きます。
市江車では「置物定め」と称する能百番(現在は二十六番)の中から神籤(みくじ)で、その年の置物が選ばれます。津島五ヶ村(つしまごかそん)の一番船(当番車)の置物は「高砂」の翁(おきな)・媼(おうな)が慣わしになっています。

企画展示「天王祭能人形展」
企画展示「天王祭能人形展」
企画展示「天王祭能人形展」