コーナー7「7月の本」

暑い夏の始まりです。『7月に関する本』を集めました

「7月の本」コーナー全体
「7月の本」コーナーの本
「7月の本」コーナーの本

入口ゲート付近のコーナー7では、7月に関する本を集めた『7月の本』を展開しています。
今後、毎月ごと季節に合った本を紹介していく予定です。

  • 伊能忠敬

    1821年7月10日、伊能忠敬が17年をかけて日本中を歩き測量して作った、日本初の精密な地図『大日本沿海輿地(えんかいよち)全図』が幕府に献上されました(忠敬は3年前に亡くなったので、弟子たちが完成させました)。忠敬が、天文学を学ぼうと江戸に出て、19歳年下の天文学者・高橋至時に弟子入りしたのは、隠居後の50歳。日本全国へ測量の旅に出発したのが55歳と聞くと、その姿は高齢化社会を生きる私たちにヒントを与えてくれそうです。2018年は忠敬が亡くなってから200年目の節目の年にあたります。私たちも、年齢を理由にせずにどんどん新しいことに挑戦していきたいものです。忠敬の偉業とあわせて、地図にまつわる本もご紹介します。

  • お中元

    日頃、お世話になっている方に感謝の気持ちを伝える「お中元」は、日本の夏の風物詩。
    この「お中元」の「中元」という言葉は、中国の道教において祭日とされている「三元」のひとつ「中元」を由来としています。道教での「中元」は、旧暦7月15日。この日は贖罪の日とされており、一日中火を焚いて神様をまつる風習がありました。旧暦7月15日は「盂蘭盆会(うらぼんえ)・お盆」と同じ日であったため、二つの行事を平行して行う中、先祖を敬う行事がお世話になった人に尊敬や感謝の気持ちを表すものに変化し、さらに、その贈り物の品物自体を「お中元」と呼ぶようになったそうです。「言葉に歴史あり」ですね。

  • 杉原千畝

    1940年7月25日、リトアニア日本領事代理の杉原千畝(すぎはら ちうね)は、外務省に反してビザを発給し、6000人もの命を救いました。第二次世界大戦が始まる前年、ナチスの迫害から逃れるべくオランダ領に脱出を望んだ数百人のユダヤ人が、日本の通過ビザを求めてきました。千畝は外務省に掛け合いましたが、拒否されました。しかし、自分の判断でビザを発給し、ユダヤ人を脱出させたのです。これは「命のビザ」と呼ばれ、後年イスラエルから「諸国民の中の正義の人賞」が贈られました。
    後年、千畝は「私のしたことは、外交官としては間違ったことだったかもしれない。しかし私には頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることはできなかった。そして、それは人間としては正しい行動だった」と語っています。

  • 四谷怪談

    1825年7月26日。江戸の中村座にて、四代目鶴屋南北の代表作である『東海道四谷怪談』が初めて歌舞伎で演じられました。恨みを持ったまま死んだ女性「お岩さん」が幽霊となって夫らを悩ませるという怪談です。四谷怪談は、その頃に本当にあった事件を基にしており、公演は大成功だったそうです。
    ところで、この四谷怪談は「忠臣蔵」のスピンオフ、いわば「忠臣蔵外伝」にあたる作品で、お岩さんは塩谷判官(浅野内匠頭)の家臣の娘にあたります。
    また現在では、この日は「幽霊の日」として制定されています。幽霊の日にちなんで、ひんやりと涼しさを感じる作品も紹介します。
    7月21日(土)夜7時半から、図書館でも「こわいおはなし会」が開催されます。こちらも是非ご参加下さい。

  • 7月16日は「海の日」です。1996年に「海洋国家として広く国民に海への関心を求める日」として休日に定められました。また、7月前半に本州では「海開き」が行なわれ、さまざまなイベントが開かれます。「海開き」の初日には、海水浴シーズン中の安全と繁盛を祈願し、神主による神事や安全祈願祭が行われることが多いようです。
    今年も暑い夏がやって来ます。安全には十分に気をつけて、海のレジャーを楽しみましょう。

  • 夏野菜

    野菜の中で、特に夏期に収穫されるものを夏野菜といいます。
    7月になると、スーパーなどでは、夏野菜が野菜売り場を色鮮やかに彩ります。夏野菜の代表は、キュウリ、ナス、トマト、ゴーヤ、オクラ、トウモロコシ、ズッキーニなど。これらの野菜は、カロテン、ビタミンC、ビタミンEなどを多く含み、夏バテに効果があります。
    美味しいだけでなく、栄養価も高い旬の「夏野菜」を積極的に取り入れて、元気な夏を過ごしましょう。

  • パリ

    1789年7月14日、パリの民衆がバスティーユ監獄を襲ったことをきっかけに「フランス革命」が始まりました。この頃、フランスは王族達が贅沢をし、民衆から重税を取り立てていました。ルイ16世は財政を立て直すため、僧侶、貴族、平民の代表を集めて話し合おうとしますが、平民たちは国民会議を作ります。これを武力で抑え込んだため、民衆が怒り、武器を手にバスティーユへ向かったのです。現在では、この日はフランス各地で花火が打ち上げられるなど、多くのイベントが行われるそうです。
    日本では、この日を映画「巴里祭」の邦題から「パリ祭」と呼びますが、これは日本だけの呼び名。フランスでは単に「Quatorze Juillet(7月14日の意)」と呼びます。パリ祭にちなんで、津島出身・金子光晴の『ねむれ巴里』をはじめ、パリにまつわる本もご紹介します。

  • サン=テグジュペリ

    世界中の人々に愛されている童話『星の王子さま』の作者、フランス人の小説家でパイロットのサン=テグジュペリが1944年7月31日、行方不明になりました。第二次世界大戦中、ナチス軍の偵察をするために連合国軍のパイロットとしてコルシカ島を離陸し、北アフリカ上空で墜落。そのまま消息を絶ったのです。それから50年以上が経った2000年、サン=テグジュペリが乗っていた航空機の残骸が地中海で発見され、話題となりました。
    『星の王子さま』は、総販売部数1億5千万冊を超え、世界中で愛されるロングセラーとなっています。「かんじんなことは、目に見えないんだよ」や「子どもたちだけが自分が何を探しているか知っているんだね」などの言葉が、今も私たちの心に響く『星の王子さま』をはじめ、サン=テグジュペリの世界に触れる本もご紹介します。

  • ゆかた

    七夕の日、女の子は色のついた糸を結んだ7本の針と瓜を供えて裁縫の上達を祈り、衣類に感謝していたという中国の故事「乞巧奠(きっこうでん)」。この慣習にちなんで、1981(昭和56)年に日本ゆかた連合会が7月7日を「ゆかたの日」と定めました。
    平安時代、お風呂に入る時に着ていた「湯帷子(ゆかたびら)」が「ゆかた」のルーツといわれていますが、現在ではゆかたでお洒落をして出掛けることが夏のお楽しみとなっている方も多いはず。
    7月28日(土)・29日(日)は尾張津島天王祭がおこなわれます。今年の天王祭は「ゆかた」でお洒落を楽しんでみてはいかがでしょうか。

  • ラーメン

    7月11日は「7」をレンゲ、「11」を箸に見立てたことと、日本で最初にラーメンを食べたとされる水戸光圀(水戸黄門)の誕生日が1628年7月11日であることから、2007年に「ラーメンの日」と制定されました。
    実は「ラーメン」にまつわる記念日はたくさんあります。世界初のインスタントラーメンが発売された8月25日が「即席ラーメン記念日」、10月2日が「トンコツ」の語呂合わせから「豚骨ラーメンの日」、4月10日が「ホット」の語呂合わせから「辛ラーメンの日」など……。それだけラーメンには多くの楽しみ方があり、私たちの暮らしにすっかり馴染んだ「日本食」となっている証拠なのかもしれません。

一日図書館員募集のお知らせ

図書館のお仕事を体験してみよう!

今年も一日図書館員の募集を行います。
本の貸出やコンピュータでの検索など図書館の仕事を体験してみませんか?

日時

8月1日(水)~3日(金)、6日(月)、7日(火) 各日13:30~16:30

対象

小学3年生~6年生

定員

20人(各日4人)

申込方法

  • 応募期間は7月14日(土)~16日(月・祝)です
  • 津島市立図書館本館、神守分室にてご応募ください(申込用紙に記入していただきます)
  • 後日抽選を行い、当選者にハガキにてご連絡します

コーナー8「図書館体育祭」

そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。(2013年IOC総会でのパラリンピック選手・佐藤真海さんのスピーチより)





今年は、6月にサッカー・ワールドカップがロシアで行われ、8月には夏の甲子園が100回記念大会を迎えます。
さらに来年、2019年はラグビー・ワールドカップが日本で開催、2020年には東京オリンピックパラリンピック……これから数年は大きなスポーツイベントが続き、当然世間で大きな話題となるはず。

津島市立図書館でもこのスポーツイベントの波に乗っかりたい、いや、あやかりたい!ということでスポーツをテーマにした特集を企画しました。選手の心に迫る自伝や、スポーツをテーマにした小説、トレーニング術など、スポーツにまつわる本を集めて紹介しています。
運動が好きなあなたも、体育の授業が嫌いだったあなたも、この夏は、図書館でいざスポーツ三昧!

  • 2018.06.19.
    サッカー・ロシアワールドカップ 日本 対 コロンビア

    今年6月、サッカー・ロシアワールドカップが開幕します。日本の初戦は6月19日。相手は、前回ブラジル大会で大敗したコロンビア。日本にとっては、今回も厳しい戦いとなりそうです。
    しかし、考えてみましょう。“日本中にプロのサッカークラブが誕生し、代表チームがワールドカップの常連となる”――ほんの数十年前に、そんな未来を口にすれば、“夢物語”と一笑に付されたはずです。日本サッカー界にとって、ワールドカップに初出場した1998年フランス大会から始まる歴史は、アジアの壁を打ち破り、世界の舞台に羽ばたいた“躍進”の時代と言えるはず。次の時代、さらなる高みを目指すためには、より険しい道のりが待っているのは、ある意味当然のこと。今大会、日本代表の前評判は決して高くはありませんが、それを覆す旋風が起こることを期待しましょう。

    チームを強くするのは、チームとしてプレーできる者だけだ。一人や二人の偉大な選手がいても、チームにはかなわない。偉大なチームとは、偉大な選手を抱えるチームではない。一丸となってプレーできるチームのことだ。

    『モウリーニョのリーダー論』

    サッカーの本

  • 2018.08.05.
    第100回 全国高等学校野球選手権大会 開会式

    大阪の豊中グラウンドで始まった、「全国高校野球選手権」は、兵庫の鳴尾、甲子園と球場を変え、“一スポーツ大会”を超えた国民的行事“夏の甲子園”に成長しました。大会は、戦争による中断を挟みながらも、今夏100回を迎えます。
    第100回記念大会は、史上最多の56代表校が出場。愛知県からも「東愛知」「西愛知」の2地区代表校が出場し、「始球式リレー」などのイベントも行われる予定です。開幕は、8月5日(日)。21日の決勝まで、どんなドラマが“夏の甲子園”で繰り広げられるでしょうか?
    今年も、日本に暑い夏がやって来ます。

    甲子園は天才も待っているが 甲子園は努力で磨いた普通を いちばん待っている 自分の汗の量を知る人 自分の涙の重さを知る人 自分の夢の大きさを知る人 自分の心の強さを知る人 そんな人を待っている それが 諸君たちだ

    『甲子園の詩 敗れざる君たちへ』阿久 悠

  • 2019.09.20.
    ラグビー・ワールドカップ・ジャパン 日本 対 ロシア

    2019年に日本で開催されるラグビー・ワールドカップは、アジアではじめて開かれるラグビー・ワールドカップです。ここ愛知県でも、豊田スタジアムが戦いの舞台に選ばれています。
    前回、2015年イングランド大会初戦で、日本がワールドカップ2度優勝の南アフリカを34-32で破った一戦は、“ブライトンの奇跡”とよばれ、史上最大の番狂わせと言われました。あれから4年後の2019年――。前回大会は1次リーグで3勝を挙げながら、勝ち点差で決勝トーナメントに進めなかった日本が目指すのは“奇跡”を上回る成果。そう、初の決勝トーナメント進出です。過去4勝22敗2分けと世界を相手に苦戦してきた日本代表は、地元での躍進を期して強化を進めています。

    「ラグビーは真横か後ろにしかパスを放れない。前進したいのに、前へは投げられない。こんな難儀なスポーツは、なかなかないと思うよ」 宇田津は笑った。「後退しながら前へ進もうとする。まるで人生みたいじゃないか」 「なるほど」 二階堂は飄々とした目を窓の外へ向けると、それきり黙りこくった。

    『不惑のスクラム』安藤 祐介

    ラグビーの本

  • 2020.07.24.
    東京オリンピック・2020 開会式

    2013年9月7日、アルゼンチン・ブエノスアイレスで開催されたIOC(国際オリンピック委員会)総会にて、2020年夏季オリンピック・パラリンピックが東京で開催されることが決まりました。
    1964年以来、56年ぶりに夏のオリンピック・パラリンピックが日本にやって来ます。2020年なんてまだまだ先だと思っていたのに、気が付けばあと2年。世界の注目を集める夏までのカウントダウンは、すでに始まっています。
    これまで、メイン会場となる新国立競技場の設計の問題や、エンブレム決定までの騒動が話題となってしまいましたが、ここでもう一度、「平和とスポーツの祭典=オリンピック」の原点に振り返るべきではないでしょうか?オリンピックは、競技に全てを賭ける選手たちのためにあるのですから。

    優れたプレゼンテーション、そしてスピーチには、必ず力強いストーリーがあります。けれど、ストーリーは特別な人生を送った人だけのものではありません。誰しもが、個人的なストーリーを持っているはずです。

    『世界を動かすプレゼン力 日本はこうしてオリンピックを勝ち取った!』

  • 2020.08.25.
    東京パラリンピック・2020 開会式

    「パラリンピック」の起源は、1948年7月にイギリスのストーク・マンデビル病院で行われた、車椅子使用者のためのアーチェリー大会「ストーク・マンデビル競技大会」です。この大会は、戦争で負傷した兵士たちのリハビリを目的としたもので、毎年開催されるうちに多くの賛同者が集まり、やがて国際大会となりました。
    “障がい者スポーツの父”といわれるグットマン博士の言葉に、「失ったものを数えるな、残された機能を最大限に活かせ」というものがあります。その言葉どおり、パラリンピックに出場する選手たちはみな、障がいがあっても、自分の可能性を諦めることなく、より高いパフォーマンスを求めて、挑戦を続けています。

    たとえ強靭な足を与えられても、ゴールに向かうのは己の心だ。それができなければ、この競技用義足も宝の持ち腐れにしかならない。走れ。走れ。走れ。腕を大きく振り、ストライドを大きくする。どうせちぐはぐな走りだから、フォームのことは頭にない。とにかく全力で走り切る。

    『翼がなくても』 中山 七里

    パラリンピックの本

  • 1957.08.14.
    津島商工・甲子園出場 津島商工-岐阜商業

    昭和32(1957)年の夏――。
    緊張した面持ちで甲子園球場を背に写真に写っているのは、県立津島商工高校(現在の津島北高校)野球部。
    この年、彼らは私たち津島市民の夢を乗せて、夏の甲子園出場を果たしました。
    今から61年前、そうずいぶん前のこと。
    でも、忘れられない夏の物語です。

    津島商工高校と野球部のあゆみ

    昭和26(1951)年 4月
    愛知県立津島工業高等学校、現在の津島文化会館がある場所に開校。
    昭和28(1953)年 4月
    商業科を併設して、愛知県立津島商工高等学校と改称。
    同年 12月
    津島市又吉町(現在の北高校がある場所)に校舎を移転。広大な土地にグラウンドが確保できたため、「軟式野球部」結成。
    昭和30(1955)年 4月
    野球部長に藤井政二氏を迎える。「硬式野球部」に切り替え。
    昭和32(1957)年 4月
    熱血漢の内藤昭八監督を迎える。
    同年 6月
    第4回春季全尾張高校野球大会・優勝。
    同年 8月
    愛知県高校野球大会優勝。甲子園出場。
    昭和51(1976)年 4月
    工業系の学科を切り離し(愛知県立佐織工業高校として独立)、津島北高等学校と改称、現在に至る。

    昭和32年7~8月の県大会・全国大会(甲子園)出場選手

    部長 藤井政二 54歳 立正大学 県下各校の野球部を28年間指導。
    監督 内藤昭八 24歳 同志社大学 情熱溢れる若き指導者。
    主将 黒宮支朗 3年 木曽岬中学 服部投手のライト転向により補欠となる
    投手 8番 安藤和彦 2年 佐織中学 大会直前に正投手になったばかり。制球力抜群。
    捕手 3番 飯田賢一 3年 神守中学 安藤投手を良くリードした
    一塁 6番 水谷敏麿 1年 八開中学 県大会決勝戦では殊勲打
    二塁 9番 浅野兼治 3年 七宝中学 堅実な守備が評価
    三塁 1番 橋本薫映 2年 祖父江中学 県大会では毎試合安打で最多安打
    遊撃 5番 鯉淵進 3年 甚目寺中学 県大会4回戦で9回逆転劇の立役者
    左翼 7番 鈴木弘 2年 甚目寺中学 県大会5回戦を突破した立役者
    中堅 2番 坂井田隆行 3年 弥富中学 「鳥人」といわれた程の好守備。
    右翼 4番 服部興一 3年 七宝中学 元・正投手。直前に肘を痛めたためライト転向
    補一 石原陸弘 3年 蟹江中学 県大会の序盤で活躍
    補投 加藤静 2年 天王中学 全国大会で中山選手に代わって選手登録
    浅野忠男 2年 天王中学 この大会では出場機会がなかった
    補投 河竹次夫 1年 七宝中学 3番手投手。今大会では出場機会がなかった
    中山孝 2年 弥富中学 県大会では出場機会がなかった

    1957.07.22.
    地区予選2回戦 津島商工 19-3 惟信(豊橋球場)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    惟信 0 0 2 0 1 × × × × 3
    津島商工 3 13 3 0 × × × × × 19

    1回戦は不戦勝だったため、この試合が初戦。
    惟信の先発・前田投手が絶不調。続く2人目投手の不調もあり、5回コールドの大勝。2回裏には、全員四球・全員得点の13点を挙げる記録も生まれた。
    ちなみに、この試合の津島商工の応援は鈴木PTA会長ただ一人だった。

    1957.07.27.
    地区予選3回戦 津島商工 3-1 起工業(鳴海球場)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    津島商工 1 1 0 0 1 0 0 0 0 3
    起工業 0 0 0 0 0 0 0 1 0 1

    1回表、1番の橋本選手が2塁打。その後、1アウト3塁となり、ホームスチールに成功。2回、5回にも追加点を重ねた。安藤投手の好投と起工業の走塁失敗もあり、勝利を収めた。

    1957.07.31.
    地区予選4回戦 津島商工 4-2 向陽(鳴海球場)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    津島商工 0 0 0 0 1 0 0 0 3 4
    向陽 0 2 0 0 0 0 0 0 0 2

    2回裏、エラーから2点を向陽に献上。向陽の鬼頭投手は終始津島を圧倒したが、9回表に鯉渕選手の2塁打から反撃。送りバントで守備を攪乱し、3点を取って見事な逆転勝ち。

    1957.08.01.
    地区予選準々決勝 津島商工 4-1 一宮(鳴海球場)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    一宮 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1
    津島商工 0 1 0 0 0 3 0 0 × 4

    一宮はDグループ最強豪との評判だったが、津島商工が一方的に試合を進める番狂わせを演じ、スタンドの大喝采を浴びた。6回には飯田選手、鯉淵選手のヒットと水谷選手の犠打フライで追加点。さらに鈴木選手の好打で3点目。
    この試合から津島市議団も応援に参加。応援旗がないため、この年作ったばかりの市章旗を振り回して声援を送った。

    1957.08.02.
    地区予選準決勝 津島商工 4-0 時習館(鳴海球場)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    時習館 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
    津島商工 2 0 0 1 0 0 1 0 × 4

    試合前は「時習館の準決勝は妥当であるが、津島商工は予想外というほかはない」という評価だったが、津島商工が初回から強豪・時習館を圧倒する「大番狂わせ」。1回裏に先頭打者の橋本選手がヒット。飯田・服部選手の安打で2点を先制。4回、7回にも追加点を加え、時習館の戸田投手の速球を崩した。

    1957.08.03.
    地区予選決勝 津島商工 2-0 中京商業(鳴海球場)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    津島商工 0 0 0 0 0 0 0 2 0 2
    中京商業 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

    安藤投手を中心にがっちりまとまったチームワークで津島商工が終始押しまくった。8回表、津島商工は飯田選手のヒットを足掛かりに水谷選手の安打で先制点。鈴木選手の安打と相手のエラーで2点目。この2点を守りきって見事に勝利し、甲子園出場を決めた。
    津島商工創立7年目、野球部発足から3年の快挙!おめでとう!!

    8月4日の中日新聞朝刊

    御年80歳の水谷市長以下、500人が駆け付けた

    赤いタスキをつけた急造の応援団

    優勝祝賀会。歓声が聞こえてきそう!

    甲子園まで

    • 1.校歌がない!

      甲子園出場が決まった8月3日、津島商工は主催する朝日新聞社から校歌の提出を求められた。しかし、創立7年目の津島商工にはまだ校歌がなく、急きょ稲垣信全教頭が作詞を手掛け、津島出身のNHK管弦楽団の相羽実氏に作曲を依頼。8月4日夜には全て完成し、翌日提出した。

      こうした例は他になかったため、全国でも紹介された。甲子園の出場校が一晩で校歌をつくるという離れ業は、大会の歴史でおそらく初めてのことだろう。

      津島商工校歌

      木曽の流れに 培はれ
      伊吹の嶺に 励まされ
      ここ尾張野に 屹然と
      立てる学び舎 津島商工

      商と工とを 経緯に
      織り成す錦 一筋に
      たがへぬ願ひ 永遠に
      繋けし学び舎 津島商工

      希望の翼 商と工
      はばたくところ勤労の
      聖なる精神活かさんと
      誓ふ学び舎 津島商工

      津島商工校歌の歌詞。一晩で作詞したとは思えない出来ばえ!!

      「校歌作曲にまつわる想い出・相羽 実」

      昭和32年8月本校野球部が中京商業を下して甲子園出場を決めたとき、大変なさわぎでした。(-中略-)教頭の稲垣信全先生が突然私のバイオリン、ピアノレッスン場(瑞泉寺津島幼稚園)に息をはずませて来られたのです。お話を聞いてみますと、甲子園出場に備えほとんどのものは用意できたが、校歌だけがどうにも出来ぬ、しかも明日朝日新聞社に提出しなければならないと言う急な話でした。校歌作曲と言えば2、3ヵ月ぐらいの余裕が有るのが普通で、これはえらい事だとびっくり。しかし緊急の場合でしたので、この名誉ある作曲の大任を引受けました。

      『愛知県立津島商工高等学校史』より

    • 2.女子応援団長、誕生

      県大会を進む中で、一宮戦から応援団を急ごしらえ。
      当初は応援歌がなかったため、「フレー、フレー」の掛け声のみだった。決勝前日の8月2日に応援歌を作成し、翌3日の午前中に練習。午後の決勝に間に合わせた。
      応援団も8月6日に正式に結成。団長は小林節子さんと立松喜代子さん。「女子応援団長2人」は、当時でも異色の存在だったと思われる。

      写真は津島駅前で応援を披露する津島商工応援団。見よ、この勇姿を!

    • 3.期待高まる津島市民――

      甲子園出発前日の8月7日、天王川公園にて、津島市を挙げての壮行会が行われた。出発日の8月8日は、必勝を祈願して津島神社へ参拝した後、朝日新聞社のニュースカー・ニューポリーに乗って天王通りを行進。津島駅前では、今はなき“津島駅前広場”を埋め尽くした津島市民の熱烈な見送りを受けた。

      壮行会・御年80歳の水谷市長から花束贈呈

      津島駅前広場にて見送り。スゴイ人!

      津島駅構内は「押すな押すな」の大混雑

    • 4.実は、旅館は……

      8月8日夕方、津島商工野球部は甲子園に到着。そのまま球場を見学し、その後宿舎の富士旅館へ。
      この富士旅館、実は決勝の対戦相手・中京商業が県大会優勝を確信し、早くから予約していた宿舎だった。つまり、津島商工は宿舎の予約を中京商業から譲り受けたのである。

      写真は富士旅館前にてポーズを決める野球部員。

    • 5.まさかの組み合わせ抽選!

      8月10日、甲子園の組み合わせ抽選会が行われた。
      抽選会前日に“茶目っ気十分”の1年生・水谷選手が「優勝候補の早実か岐商に会いたいなァ……。一回戦を勝てば優勝だョ」と皆を笑わせ、新聞にも掲載される。そして当日、水谷選手の予言どおり(?)、一回戦で岐阜商との対戦が決定!

      組み合わせ決定を報じる新聞

      水谷選手のコメントが皆を笑わせる。しかし……

    さぁ、いよいよ甲子園だ!

    1957.08.12.
    開会式

    入場行進が行われ、黒宮主将以下、登録選手14人が堂々と入場行進を果たした。

    甲子園での入場行進

    大観衆が入場行進を見守る

    全23校、整列!

    1957.08.13.
    大応援団出発

    8月13日夜10時、津島市から観光バス30台の大応援団が甲子園に向けて出発。
    市民の応援申込は定員を大幅に超え、断るのが大変だったという。

    バス代は入場料込みで1人700円。鉄道利用者を加え、応援団は1500人以上に膨れ上がった。
    14日午前6時、観光バス30台は350㎞を走破し、無事に甲子園球場に到着。

    応援団到着。さっそく甲子園前で練習

    1957.08.14.
    全国高等学校野球大会1回戦 津島商工 0-7 岐阜商業(甲子園球場)

    1 2 3 4 5 6 7 8 9
    津島商工 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
    岐阜商業 0 0 0 2 4 0 0 1 × 7

    優勝候補の岐阜商相手にどこまで食い下がれるかが注目されたが、津島商工の安藤投手はカーブにキレがなく、高めの球を狙い打ちされた。
    対する岐阜商は打っては毎回安打、守ってはエース清沢投手が絶好調。津島商工打線はノーヒット・ノーランに抑え込まれ、完敗を喫してしまった。選手も応援団も、出来たばかりの校歌を一生懸命に練習して甲子園に臨んだが、一度も校歌を歌うことなく敗退してしまったのである。

    いざ、プレイボール

    清沢投手に翻弄される打撃陣

    力投する安藤投手

    対戦を終えたスコアボード

    三塁側応援席。応援団長の勇姿に注目!


    翌日の中スポでノーヒット・ノーランが話題に

    15日の中日新聞では津島商工の健闘を伝える

    1957.08.15.
    津島への帰還

    津島商工野球部は午前11時40分の特急列車に乗り、帰路に就いた。
    午後3時、津島駅に到着。すっかり日焼けした野球部員たちを家族、級友、そして津島市民が出迎えた。一同はそのまま津島市役所へ挨拶に立ち寄り、竹内市助役からは「敗れたとはいえ、郷土津島の名を全国にあげて下さったナインに厚く感謝する」と温かい言葉を送った。
    その後、津島神社に参拝して帰校。市の肝煎りで心尽くしの夕食会で甲子園の思い出を語り合った後、解散。懐かしのわが家に引き揚げた。

    天王通りを進む津島商工野球部

    津島市役所にて労いを受ける

    その後の津島商工野球部

    昭和32年以降も藤井監督と内藤監督の熱心な指導は続けられ、津島商工野球部は愛知県の強豪校として知られるようになった。昭和36(1961)年・39(1964)年の愛知県大会はベスト4、40(1965)年大会の愛知県大会では決勝戦まで勝ち進んでいる。

    しかし「2度目の甲子園」の夢が叶うことはないまま、昭和51(1976)年に工業系の学科を切り離し(愛知県立佐織工業高校として独立)、津島北高校と改称した。

コーナー7「6月の本」

『6月に関する本』を集めました

「6月の本」コーナー全体
「6月の本」コーナー掲示
「6月の本」コーナーの本

入口ゲート付近のコーナー7では、6月に関する本を集めた『6月の本』を展開しています。
今後、毎月ごと季節に合った本を紹介していく予定です。

  • 梅しごと

    「梅雨」の語源には「ウメの実が熟す時期に降る雨」という説もあるそうです。
    さて、梅雨の到来とともに、今年も「梅しごと」の季節がはじまります。スーパーなどに青梅が並ぶこの時期に、ぜひチャレンジして頂きたいのが自家製の梅干や梅酒、梅シロップ作り。丁寧に作れば長期保存ができ、さらに漬けるほど美味しくなっていくのが「梅しごと」の醍醐味です。梅の爽やかな香りに包まれながらの「梅しごと」、一度体験してみてはいかがでしょう。梅雨の季節も楽しみになるかもしれません。

  • 結婚式

    「6月に結婚した花嫁は幸せになれる」という言い伝えを、「ジューンブライド(June Bride)」といいます。意味や由来については諸説ありますが、ギリシャ神話に登場する神主ゼウスの妃で結婚や出産を司る女神「ユノ(Juno)」が守護する月が6月であることから、この月に結婚すると生涯幸せに暮らせるといわれています。
    また、ヨーロッパの6月は日本とは違って雨が少なく、まるでユノが結婚を祝福してくれているように感じられるので、この言い伝えが広まったという説もあります。

  • 6月の第3日曜日は「父の日」。今年は6月17日に当たります。
    「父の日」は、いつも仕事を頑張っているお父さんに感謝する日ですが、その由来は1909年にアメリカのドット夫人が、自分たち6人の子どもを男手一つで育ててくれた父親のために牧師に礼拝をしてもらったことが始まりとされています。
    また、ドット夫人が父親のお墓に白いバラをそなえたことから、父の日にはバラの花を贈る習慣が生まれたそうです。
    5月の「母の日」に比べると、今ひとつ認知度の低い「父の日」ですが、普段はなかなか言えない感謝の気持ちを、お父さんに伝えるきっかけにしてみてはいかがでしょう。

  • 衣替え

    衣替えは、中国で旧暦の4月1日と10月1日に夏服と冬服を入れ替えていたことから始まった習慣です。日本には平安時代に伝わりました。最初は貴族だけの習慣で年2回、夏と冬に替えるだけでしたが、江戸時代には年4回になり、季節ごとに着るものも細かく決まっていました。明治維新後に旧暦から新暦になり、それに合わせて夏服は6月1日~9月30日、冬服が10月1日~5月31日となり、6月1日と10月1日が衣替えとなりました。
    学校や官公庁、制服のある会社などは、現在もこの日をめどに衣替えを行っていますが、近年は「クールビズ」の推進によって、衣替えの時期も少しずつ早くなっているようです。

  • アインシュタイン

    1905年6月30日、アインシュタインはドイツの物理雑誌に「特殊相対性理論」を発表しました。当時のタイトルは「動いている物体の電気力学」。「特殊相対性理論」とは、光の速さを基準にして時間を定義したもので、光速に近づくと時間の流れが遅くなるといった、時間や空間が伸びたり縮んだりすることを発見しました。アインシュタインのこの発見は、その後の物理学の世界に大きな影響を与えました。
    ところで、「物理」という言葉を聞くと身構えてしまう人も多いかと思いますが、アインシュタインは数多くの名言を残していることでも知られています。「失敗したことがない人間は、挑戦をしたことのない人間である」という言葉や「誰かのために生きることにのみ、生きる価値がある」などの言葉は、今を生きる私たちの心にも響きます。

  • ビートルズ

    1966年6月29日、イギリスのロックグループ・ビートルズ(The Beatles)が来日しました。到着は28日夕方の予定でしたが、台風で飛行機が11時間ほど遅れ、29日の午前3時半ごろに到着しました。
    当時、柔道や剣道など日本古来の武道の競技場である日本武道館でロックコンサートを行うことは批判されていましたが、記者会見で尋ねられると、ポール・マッカートニーは「もし、日本の武道団がイギリスの王立劇場に出演しても、それがイギリスの伝統を汚すことにはならないと思う。私たちもあなた方と同じように伝統を重んじる。」と返したそうです。
    昨年放送されたNHK朝の連続テレビ小説「ひよっこ」では、ビートルズ来日のエピソードが取り上げられました。初来日から50年以上経ちましたが、ビートルズは今も輝くスターです。

  • 牛乳

    6月1日は、食糧危機対策として牛乳の資源に注目した国連食糧農業機関(FAO)が提唱した「牛乳の日(World Milk Day)」です。
    世界の人口は2050年には90億人に達すると予測されており、世界の人々が生きていくためには食糧生産量を増やす必要があります。そこで、FAOは厳しい気候・環境でも生産でき、栄養豊富な牛乳に着目。牛乳という資源の重要性と、世界が抱える食糧問題へ意識を向けることを目的に「牛乳の日」を設立しました。協賛国は年々増えており、2016年には世界40カ国以上の国が「ミルクレース」や「ミルクメイト総選挙」など「牛乳の日」にちなんだイベントを行っているほか、今年は世界中で「ミルクで乾杯!」している写真をSNSに投稿することで、「牛乳の日」を盛り上げる企画も行われているそうです。

  • 火山

    1991年6月3日、長崎県島原市の雲仙普賢岳で、大規模な火砕流が発生しました。当時、避難地区を守っていた消防団員や警察官、新聞記者などが火砕流に巻き込まれ、死者・行方不明者43人の被害が出ました。その後も噴火は続き、終息宣言が出たのは1996年のことでした。また、同年6月9日には、フィリピンで20世紀最大の火山噴火といわれる「ピナツボ火山噴火」が発生し、大量の火山灰のために世界中の太陽の日射量が長期間にわたり減少したそうです。
    火山噴火は、地震や台風と並んで大変な被害をもたらす自然災害ですが、火山は温泉や地熱発電など、生活に恵みをもたらす存在でもあります。この機会に「火山」について考えてみてはいかがでしょうか。

  • 6月10日は時の記念日です。日本最古の歴史書『日本書紀』には、西暦671年に天智天皇が唐から伝えられたという漏刻(ろうこく、水時計)を建造し、その漏刻で「時の奏(太鼓や鐘を打って時をしらせること)」を行ったとあります。この日が、現在の太陽暦に直すと6月10日だったことから、時の記念日が定められました。
    英語でも「Time is Money」ということわざがあるように、時間とは誰にとっても大切なもの。時の記念日をきっかけに、大切な時間についても考えてみてはいかがでしょうか。「時」がテーマとなっている小説も合わせて紹介します。

  • 暦のうえで梅雨がはじまる日を「入梅」といい、今年は6月11日にあたります。農作業をする上で、雨期を知ることはとても重要なことなので、江戸時代に暦の上で目安として「入梅」が設けられました。
    この時期になると細かい雨が降り、空気が湿ってじめじめとした天気が続きます。しかし、梅雨の雨は恵みの雨―、これから作物がすくすく育っていくためには、必要なものです。

「追悼・津本陽さん」をコーナー7に追加

津本陽さんが 2018年5月26日に89歳で亡くなられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

追悼といたしまして、現在「5月の本」展開中の入口側コーナー7に、津本陽さんの著作を集めました。
6月下旬まで展開予定です。どうぞご覧ください。

津本 陽(つもと よう)

1929年、和歌山県生まれ。大阪の肥料メーカー勤務後、富士正晴、島尾敏雄らの同人誌「VIKING」に参加。78年、明治期に滅びゆく紀州古式捕鯨を描いた『深重(じんじゅう)の海』で直木賞を受賞。『明治撃剣会』『薩南示現流』など、剣道三段、抜刀術五段の心得を生かした迫真の殺陣描写で剣豪小説に新境地を開いた。80年代後半には、初めて手がけた歴史小説『下天は夢か』を新聞連載。史料を駆使し、革新的な合理主義者としての織田信長の思考や行動を緻密に分析。方言を使う地方色豊かな織田信長像は、ビジネスマンらに支持され、累計200万部を超えるミリオンセラーとなった。95年に秀吉を描いた『夢のまた夢』で吉川英治文学賞。多作でも知られ、今年4月に体調を崩す直前まで執筆を続けていた。5月26日、死去。

コーナー7「5月の本」

緑輝く季節です。『5月に関する本』を集めました

「5月の本」コーナー全体

「5月の本」コーナーの本

「5月の本」コーナーの本

入口ゲート付近のコーナー7では、5月に関する本を集めた『5月の本』を展開しています。
今後、毎月ごと季節に合った本を紹介していく予定です。

  • 5月の第2日曜日は「母の日」。今年は5月13日にあたります。
    「母の日」は、いつも家事や仕事を頑張っているお母さんに感謝をする日です。20世紀のはじめ頃、アメリカのアンナ・ジャービスという女性が、亡くなったお母さんを偲ぶ会の礼拝でお母さんが好きだったという白いカーネーションを捧げ、参加していた人達にも配った……という話がアメリカ全土に広まって、「母の日」が生まれるきっかけになったといわれています。
    母の日が近づくと様々なプレゼントがお店に並びます。高価なプレゼントを贈るのも良いですが、「ありがとう」という言葉を伝えることや、心をこめて家事の手伝いをすることも、お母さんへの感謝を伝える方法といえるのではないでしょうか。

  • お茶

    「♪夏も近づく八十八夜~」という歌でおなじみの八十八夜は、立春(2月4日ごろ)から数えて88日目をいい、2018年は5月2日にあたります。この頃から霜がおりなくなるため「八十八夜の別れ霜」といって、農作物の種まきに良い季節といわれています。
    農家ではイネや夏野菜の種まきなどの農作業が忙しくなり、茶畑で茶摘みがはじまるのもこの頃。その年の新芽を摘んで作ったお茶のことを「新茶」といい、八十八夜が過ぎる頃には「新茶」が出回りはじめます。
    ちなみに、緑茶も紅茶も烏龍茶も、原料は全て同じ茶葉で、発酵や乾燥、蒸すといった加工方法の違いによって、さまざまな種類のお茶ができるそうですよ。

  • スカイツリー

    2012(平成24)年5月22日、東京都墨田区に東京スカイツリーが開業しました。その高さは旧国名の「武蔵」にちなんで634メートルと、自立鉄塔としては世界一を誇ります。
    最寄り駅である東武伊勢崎線「とうきょうスカイツリー駅」は、スカイツリーの開業にともなって「業平橋(なりひらばし)駅」より改称されました。業平橋は付近を流れる隅田川の近くの大横川に架かる橋で、その名の由来は『伊勢物語』の句「名にし負はば いざ言問(ことと)はむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」。平安時代の歌人・在原業平が隅田川で舟に乗りながら、空を飛ぶ都鳥に京都に残してきた愛する人の消息を詠んだことに由来します。地元にはこの駅名に愛着を持つ人も多く、改称には反対の声もあったそうです。

  • 看護

    5月12日は「近代看護教育の母」と呼ばれるフローレンス・ナイチンゲールの誕生日。ナイチンゲールはイギリスの看護師で、クリミア戦争で国境を越えて兵士の看護活動を行ったほか、看護師の教育制度を整えた人です。この日は国際看護協会により、1965年に「国際看護師の日」と定められています。
    日本では「看護の心をみんなの心に」という趣旨のもと、1990年に「看護の日」と定められました。この前後の「看護週間」には、多くの病院で看護体験や保健相談などのイベントが全国で開催されます。
    看護のプロフェッショナルとしてだけではなく、患者の抱える不安にそっと寄り添ってくれる看護師さんは、私たちにとって大切な存在。本を読んで、「看護」への理解を深めてみてはいかがでしょうか。

  • 自転車

    風薫る5月です。健康にも、地球環境にも良い自転車で出掛けてみてはいかがでしょうか。
    幼い頃、はじめて自転車に乗れるようになった時の感動を覚えている方も多いはず。風を感じて、季節を思いながらペダルをこぐ瞬間――。自転車だからこそ見えてくる風景がきっとあるはずです。
    ただし、道路をともに使う人たちのためにも、自転車に乗る時には交通ルールやマナーをきちんと守ることを大切にしなくてはいけませんね。

  • 憲法

    5月3日は憲法記念日。第二次世界大戦から約2年後の1947年5月3日、前文と11章103条の日本国憲法が施行されました。その趣旨は「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」。国民一人一人の幸せや自由を尊重し、日本を豊かに成長させていこうという意味で作られ、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の3つを明言しています。
    最近では戦争放棄を掲げる第9条の解釈について、様々な考え方が示され議論を呼んでいます。みなさんも憲法記念日を機に、憲法についての理解を深めてみてはいかがでしょう。

  • 空港

    1978年5月20日、日本を代表する国際空港として千葉県成田市に新東京国際空港(現在の成田空港)が開港しました。これは、1931年から国際線と国内線の両方を賄っていた現在の東京国際空港(通称・羽田空港)の処理能力が限界に近づいたため、新しい空港を建設したものです。この年の利用者は1日あたり約2万人でしたが、最新の統計・2018年2月の1日あたりの利用者は11万人を超えています。成田空港は、国際線の発着回数と乗り入れ航空会社が日本で一番多い「日本の表玄関」といえるでしょう。
    最近では、空港の利便性の良さはもちろん、ショッピングやグルメも楽しむことのできるスポットとして人気を集めています。

  • 毎年5月10日~16日は「愛鳥週間」です。「愛鳥週間」は、アメリカの「バード・デー(Bird Day)」に由来しています。日本では戦後、野鳥の少なさを憂慮したGHQが、野鳥についての正しい知識の普及を日本政府に勧告したことで始まりました。
    もともとは、アメリカと同じ4月10日が「バード・デー」でしたが、日本では4月は北日本にはまだ雪が残っていて、バードウオッチングには適さないということで1ヶ月後にずれ、さらに1日だけの行事で終わらせない運動とするために1950年から「愛鳥週間」へと改称しました。
    5月は初夏の緑が輝く季節です。みなさんも、本を片手にバードウオッチングに出掛けてみませんか。

  • 桶狭間の戦い

    1560年5月19日、尾張の領主・織田信長は、侵攻してきた駿河の大名・今川義元を桶狭間で破り、勝利しました。これが有名な「桶狭間の戦い」です。
    織田軍は豪雨の中を進み、今川義元の本隊に奇襲をかけました。今川軍が2万5000人といわれる大軍で、織田軍は少数だったため、その戦略は今も語り継がれており、この戦いは戦国時代の転機となった合戦といわれています。

  • ボクシング

    1952年5月19日、白井義男選手が日本人としてはじめてボクシングの世界チャンピオンになりました。当時のフライ級王者はダド・マリノというアメリカの選手。ボクシングの本場アメリカの選手に、日本人選手が勝つということは大変な快挙とであり、この日は「ボクシングの日」となりました。現在でも、5月19日にはボクシング関係者が集まり、ファン感謝イベントなどが開催されています。
    ボクシングの起源には諸説ありますが、遅くとも紀元前600年代の古代ギリシャで行われていたオリンピックにはボクシングの原型が見られます。しかし、当時のボクシングは命をかけて戦う危険なものだったそうです。

コーナー5「のりものあつまれ」

みんなだいすき、くるまやでんしゃなどののりものの絵本を集めました。
遠くへ、近くへ、いっしょにおでかけしよう!

コーナー7「4月の本」

新しい季節のスタートです。「4月に関する本」を集めました

「4月の本」コーナー
「4月の本」コーナー
「4月の本」コーナー

入口ゲート付近のコーナー7では、4月に関する本を集めた「4月の本」を展開しています。
今後、毎月ごと季節に合った本を紹介していく予定です。

  • 昔、桜には田の神が宿ると考えられていました。桜が満開になると、人々はお酒や食べものをお供えして、米や麦などの作物がたくさん収穫できるように祈ったそうです。
    桜が咲く時期が近づくと、各地の開花予想日が新聞などで発表されます。日本地図に線で表された予報が天気図の前線に似ていることから、「桜前線」と呼ばれています。今年は、3月下旬に暖かい日が続いたため、例年より早くソメイヨシノは満開を迎え、既にお花見を楽しまれた方も多いと思います。
    そしてソメイヨシノが咲き終わった後には、八重桜の季節がやって来ます。ソメイヨシノよりも開花期間が長い八重桜、今年はこちらも楽しんでみてはいかがでしょうか。津島市立図書館から近い天王川公園では、多くの八重桜とともに「鬱金桜(ウコンザクラ)」という、鬱金色に咲く八重桜も楽しむことができます。

  • 巌流島の戦い

    宮本武蔵と佐々木小次郎による、天下一の剣の使い手を決める有名な決闘「巌流島の戦い」が行われたのは、1612年4月13日のこと。武蔵は諸国を修行中の武芸者、小次郎は細川家に仕えながら道場を開く身でした。
    決闘の日、武蔵は約束の時間から2時間近く遅れて現れます。苛立つ小次郎は、武蔵に刀を振り下ろしますが、船の櫂(かい)を削って作った武蔵の木剣(もっけん)にあえなく倒されるのでした。
    巌流島は、山口県下関市にある関門海峡に浮かぶ島で、正式な島の名前は「船島(ふなじま)」。現代では、ゴールデンウィークに開催される「しものせき海峡まつり」の「巌流島フェスティバル」のイベントとして、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の再現が行われ、人気を集めているそうです。

  • 4月1日は「エイプリル・フール」です。「四月馬鹿」ともいい、この日は嘘をついてもいい日とされています。
    ただし、「エイプリル・フール」には、嘘をつく上でのルールがあります。それは、決して人を傷つけないこと。そして、後々まで害を残さないこと。最近では、企業でも特設のサイトを作ったり、画像を用意したりと手の込んだ嘘を仕込み、SNS上で反響を得て、顧客との交流のきっかけとすることも多いようです。
    昨年は、Google社が「キーボード入力に変わるデバイスとして『プチプチ』に対応する」というプレスリリースを行ったことや、パインアメを製造している会社がパインアメの穴成分を商品化した「パインアメのアナ」を発売すると発表したことなど、ユニークな「嘘」が話題となりました。はたして今年は?

  • イエス・キリストが金曜日に十字架にかけられて亡くなった後、三日目の日曜日に蘇ったことを祝う復活祭(イースター)。キリスト教ではクリスマスと並ぶ重要な日です。「春分の日の後の最初の満月から数えて最初の日曜日」と定められているため毎年日にちが変わり、今年は4月1日となります。
    イースターには、卵の殻に色や飾りつけをしたイースター・エッグを作ったり、カードを送りあったりします。卵を使うのは、キリストの復活を卵から雛が孵ることになぞらえたためとされています。
    津島市立図書館・児童室では、こどもの読書週間にあわせて「図書館deエッグハント」というイベントを行う予定です。こちらも、ふるってご参加下さい。

  • お弁当

    4月は、はじまりの季節。新生活のスタートに伴い、毎朝の「お弁当作り」がはじまった方も多いかと思います。
    「弁当」の「弁」の字が数字の「4」に似ていること、「当(とう)」=「10」の語呂合わせもよいことから、4月10日は「お弁当始めの日」と制定されたそうです。
    昨年、冷凍食品会社が実施したアンケートによると、日本で一年間に作られる手作り弁当の数はおよそ50億個。最もおかずの品数が多い都道府県は、平均5.78品で島根県だったそうです。
    お弁当は、作る側も食べる側も心躍るもの。特別なおかずがなくたって構いません。蓋を開ける時のトキメキ、味わってみませんか?

  • 昭和

    4月29日は、歴代で最も長く天皇の地位にあった昭和天皇の誕生日です。戦前は「天長節」と呼ばれ、戦後「天皇誕生日」として国民の祝日に定められたこの日は、平成になると「みどりの日」に変わりました。昭和天皇が植物学者として知識が多かったことが由来となっており、「自然に親しみながら、その恵みに感謝し、豊かな心を育む」ことを目的として定められましたが、2005年に改正祝日法が成立。2007年から「みどりの日」は現在の5月4日に変わり、4月29日は「昭和の日」として定められました。
    昭和の日には「激動の日々を重ねて、復興を遂げた昭和の時代を振り返り、国の将来に心を向ける」という意義があります。少し懐かしい「昭和」を振り返る本を集めました。

  • 聖徳太子

    604年4月3日、新しい国家づくりを進める聖徳太子は、前年の「冠位十二階」に続いて「憲法十七条」を制定しました。内容は役人の心構えを説いたもので、役人は天皇を中心にまとまり、国家づくりに努めるよう定められました。第一条の「和を以て貴(とうと)しとなす」という有名な書き出しは、豪族の争いが続く時代に人々の和の大切さを示すものでした。
    ところで、聖徳太子の肖像といえば、40代以上の方なら昔の一万円札を思い浮かべる方も多いでしょう。しかし、あの太子の肖像は「太子を描いたものではない」という説が有力となったため、現在の高校の教科書からは消えているそうです。さらには「聖徳太子はいなかった」という学説を唱える人もいるようで……。聖徳太子をめぐる謎は深まるばかりといえそうです。

  • ダ・ヴィンチ

    1974年4月20日、東京・上野の東京国立博物館で「モナ・リザ展」が開かれ、レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「モナ・リザ」が公開されました。
    この作品が描かれたのは1503~1506年頃のこと。謎の微笑みを一目見ようと多くの人が会場に詰めかけ身動きができないほどで、モナ・リザとの対面はほんの数秒だけという人も多かったそうです。この展示は6月10日まで行われ、入場者数は約151万人を記録しました。
    また、4月15日はダ・ヴィンチの誕生日でもあります。ルネサンスを代表する芸術家であると同時に、建築や解剖学の分野でも業績を残し「万能の天才」とよばれたダ・ヴィンチ。現代を生きる私たちを、今なお魅了し続ける存在といえるでしょう。

  • 散歩

    春です。暖かい日が続くと、体を動かしてみたくなりますよね。
    ふと思い立ったら、ぶらりと散歩に出掛けてみてはいかがでしょうか?家族や友人、愛犬とだけではなく、一人でも、のんびりとした時間を過ごしながら散歩をする時間は、日頃のストレス解消や健康維持に役立つこと間違いなし。
    4月27日~30日には「津島・まちあそび」のイベントとして、ゆっくりお散歩しながら津島を楽しむ「つしまさんぽ・スタンプラリー」が開催されます。津島をもっと好きになれる4日間、参加してみてはいかがでしょう。

  • 椅子

    4月14日は、4と14で「良(4)い椅子(14)」と読む語呂合わせから「椅子の日」とされています。オフィス家具などを販売する会社が制定した日で、新入学、就職、転居などで新しいスタートを切る時期に当たることから、座り心地の良い椅子を贈る日となることを目指しているそうです。
    私たち人間が、生活の中で取る主な姿勢は「立つ」「座る」「寝る」の三つ。つまり、「座る」を支える「椅子」は、人生の三分の一を共に過ごす存在の家具です。座り心地の良い椅子、じっくりと探してみてはいかがでしょう?

企画展示「新収!郷土資料展」

新収!郷土資料展 1

図書館では地域の歴史・情報がわかる資料を多数受け入れています。近年は地域の方々からも珍しい資料・貴重な資料を多く寄贈いただき、地域を知る上で大きな財産になっています。
今回の展示では、ここ1年間に図書館が受け入れた主な郷土資料を紹介します。

パネルの内容はこちら(PDF:○○KB)

新収!郷土資料展 2
新収!郷土資料展 3
新収!郷土資料展 4
新収!郷土資料展 5
新収!郷土資料展 6
新収!郷土資料展 7

「祝・国際アンデルセン賞 角野栄子さん」をコーナー7に追加

角野栄子さん 国際アンデルセン賞を受賞

祝・国際アンデルセン賞 角野栄子さん

今年の国際アンデルセン賞に、角野栄子さんが選ばれました。

現在「3月の本」展開中の入口側コーナー7に、角野栄子さんの著作を集めました。
どうぞご覧ください。

国際アンデルセン賞とは

国際アンデルセン賞は、「児童文学への永続的な寄与」に対する表彰として贈られる国際的な賞。「小さなノーベル賞」とも呼ばれるほどの影響力を持つ。
国際アンデルセン賞には「画家賞」と、角野さんが受賞した「作家賞」の2部門がある。

角野栄子

1935年東京都生まれ。ブラジル滞在の体験を基に書いた『ルイジンニョ少年』で70年に作家デビューし、絵本や童話を数多く執筆。
85年の『魔女の宅急便』は、少女キキがひとり立ちの旅に出かけ、ほうきで空を飛ぶ魔法を使って見知らぬ町で成長していく物語。89年には宮崎駿監督がアニメ映画化して大ヒットした。他の代表作には「アッチコッチソッチの小さなおばけシリーズ」など。国際アンデルセン賞は2年に1度、長年にわたり子どもの本に貢献してきた作家と画家に贈られる「児童文学のノーベル賞」。日本人の作家賞受賞は、まど・みちおさん、上橋菜穂子さんに次ぎ3人目。画家賞を含めると5人目となる。選考委員会は、授賞理由として作品について「親しみやすく、人生を肯定している」などと評価した。

角野栄子さんの会見より

受賞をうけての言葉

私は自分の持っている言葉を、目に見えるような形で表現したい、といつも思ってきました。私が楽しい気持ちで書けば、読む人に伝わるんだ、という確信をだんだんと持てるようになり、それが支えでした。外国の方たちに伝わったことも、すごくうれしいです。

子どもに伝えたいことは?

それをストレートに書いたり、言ったりしてしまったら、読む自由を奪う。言葉を、風景の中に溶かし込みたい。読書は勉強でもなく、強制されるものでもない。私が書いたものでも、読んだ時からその方の物語に変わり、読んだ人の力と相まって広がっていくのが物語の素晴らしいところです。

読書をしない子どもが多い現状へのアドバイス

大人が一生懸命に本を読んでいたら、子どもは「何を読んでいるの」と聞く。「すごく面白い本だからあなたには見せられない」と言えば、子どもは本を読むようになります。

「追悼・内田康夫さん」をコーナー7に追加

追悼・内田康夫さん

内田康夫さんが 2018年3月13日に83歳で亡くなられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

追悼といたしまして、現在「3月の本」展開中の入口側コーナー7に、内田康夫さんの著作を集めました。
4月中旬まで展開予定です。どうぞご覧ください。

内田 康夫(うちだ やすお)

1934年、東京都北区生まれ。テレビCM制作会社を経営していた1980年、自費出版したミステリー『死者の木霊』が編集者、評論家らの注目を浴び、46歳で作家デビュー。82年の『後鳥羽伝説殺人事件』から始まった浅見光彦シリーズで人気に火が付いた。他には、信濃のコロンボシリーズ、岡部警部シリーズ、歴史小説なども手掛けている。
事前に構想を固めずに書き進める作法をとり、旅情ミステリー作家として各地の風景や人々の心情を描いてきた。残された著作は163作、累計発行部数は1億1500万部。08年に「第11回日本ミステリー文学大賞」を受賞。15年7月に脳梗塞で倒れ、リハビリに励んだが、17年3月に「書き続けるのが難しくなった」として休筆宣言。浅見シリーズ114作目の『孤道』を未完のまま出版、今年4月にかけて続編を公募して完結させることになっていた。3月13日、死去。

浅見光彦シリーズとは

浅見光彦シリーズは、累計発行部数9700万部を誇る人気シリーズ。警視庁刑事局長を兄に持つハンサムなフリーのルポライター・浅見光彦が、愛車ソアラを疾駆し、全国各地で起こる事件の謎を解くシリーズ作品として知られている。育ちが良く、朗らかな浅見光彦の人物像が人気を呼び、榎木孝明さんや辰巳琢朗さん、中村俊介さんらが浅見光彦役を演じ、何度も映像化されてきた。作中では、作者自身も「軽井沢のセンセ」として登場。浅見家のお手伝い・須美ちゃんとの軽妙なやりとりは、ファンの楽しみだった。
内田さんは浅見光彦のことを「自分の分身」と語り、「同じ人物ばかり書いていては面白くないだろうという意見もある。でも僕はそんなことなかったですね。旅をしながら歴史や伝説を発掘する。本当に面白かった。」と、インタビューで語っていた。浅見光彦は、作者、そしてファンにも愛された名探偵だったといえるだろう。

コーナー9「維新八景」

まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。(司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』冒頭の一文より)





平成30年は、明治維新から150年を迎える年に当たります。
江戸から明治へと移り変わる激動の時代、当時の人達は何を考え、どのように生きたのか?
その姿には、今を生きる私たちが未来を考えるヒントがあるかもしれません。

明治150年

一.「西郷どん」を読む。

今年の大河ドラマは西郷隆盛が主役をつとめる「西郷どん」。
幕末を舞台としたこのドラマはこれから、長州征伐、薩長同盟、大政奉還、戊辰戦争、そして西南戦争へと、歴史的な大事件が続きます。
ドラマが佳境に突入する前に、本を読んで「西郷どん」の世界を予習してみませんか?今後ドラマに登場する予定の人物の本も紹介します。

二.新選組、奔る!

幕末のヒーローといえば、動乱の幕末を駆け抜けた最強の武装集団・新選組。その出発点は、若者たちが「武士になる」という夢を抱いて京都へ上り、浪士組を結成したことでした。やがて「新選組」の名を冠せられた彼らは、幕府の手先として得意の剣をふるいます。
しかし、時勢は彼らに味方せず幕府は瓦解。新選組は結成わずか5年で追われる立場となり、隊士の多くは悲劇的な最期を遂げました。
映画やドラマ、小説に漫画、さらにはゲームの世界でも語られる彼らの物語。今もファンが増え続けているその魅力に触れてみましょう。

三.誇り高き敗者たち

大河ドラマ「西郷どん」は薩摩・長州藩側から描いた明治維新の物語です。しかし「明治維新」は「幕府瓦解」でもあります。長州、薩摩、土佐、会津、そして幕府には、それぞれの「正義」がありました。現代の価値観で当時を裁くことはできないでしょう。
人間は自分に都合よく歴史を解釈し、良い部分だけを膨らませて語りがちですが、現代は情報を自由に集めることができます。勝者と敗者、どちらの側からも明治維新を客観的に眺められる、よい環境にあるのです。明治維新のアナザーストーリー、こちらにも注目してみましょう。

四.カメラは撮らえた。

「幕末」という時代は、日本史上はじめて「写真」という形で当時の情景や人物が残された時代。日本にはじめて写真機が伝わったのは、1848年とされています。日本人によって写された写真で今も残っている一番古い写真は、「西郷どん」でもお馴染みの薩摩の殿様・島津斉彬を写したもの。また、「写真家大名」とも呼ばれた尾張藩最後の藩主・徳川慶勝は、西洋から渡来したばかりの写真術に着目し、数多くの写真を遺しました。
写し出された幕末の写真を見ていると、この時代がより躍動感を持って身近に感じられます。ぜひ、ご覧下さい。

五.海を越えて――。

幕末、仲間と漁に出た土佐藩の少年が遭難し、無人島に漂着。約150日間のサバイバル生活を生き抜いた後、アメリカの捕鯨船に救助されました。少年は船に残る決意をし、後にアメリカへ渡り教育を受けることになります。彼の名はジョン万次郎。帰国後は、幕臣としてペリー来航時に通訳をするなど開国に尽力しました。また、幕末期には「遣米使節団」として勝海舟や福沢諭吉らを乗せた咸臨丸が渡米。さらに伊藤博文らが欧米に留学し、帰国後は明治新政府の中枢で活躍します。一方、西洋化を進める明治政府は、技術者や学識者ら「お雇い外国人」を招聘し、積極的に先進文明や技術を取り入れます。彼らから教えを受けた日本人学生の中には、新渡戸稲造や内村鑑三の姿もありました。
日本から旅立った者、日本へと旅立った者。彼らは、海を越えた先に何を見たのでしょうか?

六.文豪誕生

江戸から明治へ時代が移り、「文豪」が誕生しました。夏目漱石、森鷗外、樋口一葉、そして正岡子規。
彼らの作品が今もなお読み継がれているのは、そこに今と変わらない人間の姿が描かれ、何より作者本人に魅力があるからでしょう。
ところで、漱石の小説『三四郎』には、こんな一節があります。主人公の三四郎が上京する電車で、髭のある男に話しかけられる場面です。

「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」 と(三四郎は)弁護した。
すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」 と言った。

急速に近代化・西洋化を進める日本への、漱石からの警告だったのでしょうか?

七.文明開化の音がする♪

「散切(ざんぎり)頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」。明治の「御一新(ごいっしん)」により西洋の文明が一挙に日本に入り込み、文明開化は驚くほどのスピードで進んでいきました。なかでも、「牛鍋」や「ライスカレー」「あいすくりん」などの新しい食べ物に、当時の人たちは強く憧れたそうです。日本人の「食」への情熱は、今も昔も変わらないものですね。
一方で、明治政府は国の財政を豊かにするための産業保護育成政策のもと、国が直接経営する官営工場を全国に建設。1872(明治5)年にフランス人技師を招いて、群馬の富岡で操業を開始した富岡製糸場は、官営工場のお手本とされました。絹産業の近代化に貢献したことなどが評価され、「富岡製糸場と絹産業遺産群」は、2014年に世界遺産に登録されました。

八.その頃、津島は?

さて時代は、江戸から明治へと大きく変化していきますが、その頃の津島はどのような時代を迎えていたのでしょうか。
ここからは、趣向をガラリと変えてご紹介します。

  1. アナウンサー

    幕末・維新の時代の津島から、時空を超えてレポーターに中継してもらいましょう。
    おやおや、何だか大騒ぎになっていますよ。レポーターのフジヱ※1さん、聞こえますか?

  2. フジヱ

    聞こえとるわ。どえらい※2がね。
    え、「まいく」?こう手に持っとりゃぁいいんかね、あんた。
    こんなもんで大きく聞こえるんかね?

  3. 本題へ
  4. フジヱ

    あぁ、そんなことより、おみゃーさん大変だがね。

  5. アナウンサー

    はい、何が起こりましたか?

  6. フジヱ

    いろいろあったもんで、「ふりっぷ」にまとめたがね。

  7. 維新・津島事件ファイル

    1. 明治天皇が津島に!?
    2. 燃やされた仏像
    3. あかだ※3、大ピンチ!
  8. アナウンサー

    あぁ、意外にも準備がいいんですね。えーっと、まず……
    「明治天皇が津島に!?」ですか?
    フジヱさん、どういった状況だったか、詳しく教えて頂いてもよろしいですか?

  9. フジヱ

    意外にも、とは失礼な男だわ。
    まぁ、ええわ。これは大事な「あるばいと」だもんで。
    はいはい、では詳しゅう説明するがね。

  10. 明治天皇が津島に!?

    明治の初め、天皇陛下が佐屋路(佐屋宿~熱田宿)を通過されることとなり、この御一行を迎える準備のため海部地域も嵐のような慌ただしさとなりました。

    中でも、多くの逸話を残したのが、明治元年12月18日のこと。熱田宿、神守宿を経て、津島御用所を出発した御一行は、その日のうちに佐屋から海路で桑名へ向かう予定でした。ところが天候が急に悪くなり、急遽佐屋で宿泊することになったのです。佐屋は大慌てで、隣村の日置村へもフトンを持ってくるよう要請しました。

    ところで、日置村では村の若者衆のウドン打ちがたいそう上手との評判がありました。フトンの要請を受けたとき、村の責任者は「それ見よ、わしんとこのウドンのエエことは禁裏様まで聞こえとるに」と喜びました。すぐに若者衆を呼び集め、自慢のウドン60数枚を打ち上げ佐屋の本陣へ献上しましたが、もちろん本陣ではちんぷんかんぷん。ようやくフトンとウドンの間違いだったことに気づくと、御一行を含めて大笑いになったということです。

    なお、海部地域では小麦の生産が多く、明治以降は「重箱うどん」として名物になっています。

  11. フジヱ

    そんなわけで、津島は大騒ぎだったんだわ。
    まぁ、このへんの人は昔から、うっかり者だわ。
    「ふとん」と「うどん」って。ひゃっひゃっひゃっ(笑)。どうして間違えるんかね。

  12. アナウンサー

    そうですね。なるほど、大変よく分かりました。
    さて、次は何だか恐ろしそうなタイトルですね。
    「燃やされた仏像」、詳しくお話しください。

  13. フジヱ

    はいはい、では説明するわ。

  14. 燃やされた仏像

    津島神社には古くから仏教施設も複数あり、江戸時代には「津島牛頭天王社」として人々の信仰を集めていました。
    とりわけ、本地堂の薬師如来像は疫病退散や病気平癒のシンボルであり、ここが人々の信仰の対象となっていたのです。

    明治元年、明治政府は「神仏分離令」を発令。
    11月、津島牛頭天王社から取り除かれた仏像・仏典・仏具を下新田の佐屋川原へ集め古布で覆い、次々火の中へ投げ込んで焼き捨てました。日頃牛頭天王を信仰していた地元の住民は、この紅蓮の炎を見て涙を流したと伝えられます。

    明治2年2月7日には「津島神社」と改称。
    時は流れて大正8年、世界中で流行した「スペイン風邪」が津島で猛威をふるった際に津島神社のある地区の被害が最もひどかったため、「牛頭天王様を怒らせた祟り」と考える人も多かったといいます。果たして…?!

  15. フジヱ

    本当におそがい※4が。津島神社には毎日行っとるのに知らんかったわ。

  16. アナウンサー

    おや、ご存知なかったのですか?

  17. フジヱ

    私ら、お参りにござった人しか見とらんもん。
    あかだ買うてくれる人、探さなかんもんで。
    ひゃー、びっくりだわ。悪いこと起きんとええが……

  18. アナウンサー

    大丈夫ですよ、今も津島はありますから。

  19. フジヱ

    ほんなら良かったがね、あんた。心配したわ。

  20. アナウンサー

    「賑わっている」とは正直言えませんが……
    財政難※5ですし、人口も減っていますし……

  21. フジヱ

    やっぱり、おそがいが!

  22. 時間がないので急いで!
  23. フジヱ

    わ、もう時間かね。では、おしまいに……
    そうそう、これは大事件だわ。これのせいで、「あるばいと」しなかんくなったんだわ。

  24. アナウンサー

    「あかだ、大ピンチ!」とありますね。詳しくお話下さい。

  25. フジヱ

    (仲間とのおしゃべりに興じている)

  26. アナウンサー

    聞こえますか、フジヱさーん。

  27. バイト代減らすよ!
  28. フジヱ

    わわゎ、いかんがね。どえりゃあビックリしたわ。
    はいはい、失礼しました。では説明するがね。

  29. あかだ、大ピンチ!

    明治前期、明治政府は財源確保のために様々な税を導入しました。
    明治18年7月、政府は「菓子は贅沢品であり体にも悪い」として、製造・販売に5%の税をかける「菓子税」を導入します。津島ではこの「菓子税」が導入されることを知り、大騒ぎになりました。「このままではつぶれてしまう!」と、神社周辺のあかだを売る商店は、なんとかならないかと連日協議しました。協議の結果「あかだはお菓子ではない!だから菓子税は適用されない!」と主張することで一致。これを連名で愛知県へ提出しました。その内容を要約すると以下の通りになります。

    菓子税除外の嘆願書(あかだ) 明治18年(1885)6月20日
    本年、太政官令第11号に菓子税則を定められ、あかだも対象となっております。
    あかだは砂糖や蜜などを加えず、米粉を丸めて油で揚げただけのものです。そのため、よい味どころか茶菓子にもなりません。地元の者などは普段これを食べることはなく、他地域から津島神社へ参拝に来る者だけが買い求めます。我々は参拝者の数に合わせて製造販売するだけで、菓子として売ってはいません。
    恐縮の至りですが、特別のお計らいにてあかだを菓子と認めないでください。

    こうした嘆願もむなしく、翌月から菓子税はあかだにも適用されました。同じ頃、全国各地からも菓子税に対する悲痛な撤廃嘆願書が次々提出されました。
    こののち津島出身の衆議院議員・加藤喜右衛門(のち初代津島図書館長)が菓子税撤廃を目指す議員連盟に加わり、積極的に活動します。悪法と指摘され続けた菓子税は、明治29年にようやく廃止されました。

  30. フジヱ

    そうそう、ひどいもんだがね。
    あかだは、売り子にとっては生活の糧だぎゃ。こんなもん、贅沢品ではないわ。

  31. アナウンサー

    こんなもん、って……(笑)
    はい、よく分かりました。時空を超えた中継、ありがとうございました。

  32. フジヱ

    はい、幕末・維新の時代の津島からお送りしましたで。
    こんでええかね、あんた? おぉ、「あるばいと代」、ありがとうな。

コーナー7「3月の本」

暖かくなってきましたね。「3月に関する本」を集めました

「3月の本」コーナー
「3月の本」コーナー
「3月の本」コーナー

入口ゲート付近のコーナー7では、3月に関する本を集めた「3月の本」を展開しています。
今後、毎月ごと季節に合った本を紹介していく予定です。

  • 卒業式

    春は出会いと別れの季節。3月は、日本各地の学校で「卒業式」が行われます。校長先生から卒業生に卒業証書が手渡され、在校生による送る言葉、卒業生による感謝の言葉が述べられて、思い出の詰まった学校に別れを告げます。しかし、これは悲しいだけの別れではなく、これから新しい学校に入る人や社会に出て働く人にとって、次の階段を昇るための第一歩でもあります。
    卒園・卒業は人生の節目。図書館からもエールを送ります。
    「卒業おめでとうございます。これから先の人生にも良い本との出会いがありますよう、心から願っています。何かに迷った時や困った時は、本、そして図書館があなたの力となれれば、と思っています。いつでも気軽に遊びに来てください。」

  • 東日本大震災

    2011(平成23)年3月11日午後2時46分ごろ、東北地方の三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。震度7という激しい揺れに加え、国内観測史上最大の津波によって、東北地方から関東地方にかけて大きな被害をもたらしました。
    死者・行方不明者は2万2152人(2017年9月1日現在)。この地震と津波で福島県の東京電力福島第一原子力発電所が被災し、放射性物質が漏れ出す事故が発生。重大な原子力事故となりました。
    震災の発生から、今年で7年。日本中、そして世界中の人たちが被災地に思いを馳せ、支援の輪を広げてきました。ただ気持ちに寄り添い続ける―、毎年3月11日は「困っている誰か」を思う一日として迎えたい、と改めて思います。

  • ひな祭り

    ひな祭りは、女の子の成長を祝うお祭りです。昔、貴族の間で行われていた「流しびな」の風習と、貴族の子どもたちの間で行われていた人形あそび(ひいなあそび)、そして中国から伝わった3月上旬の巳(み)の日に水辺で体をきよめて病気を追い払う「上巳(じょうし)の節句」が結びついたものだといわれています。
    やがて、人形が豪華になっていき、江戸時代には今のようなひな人形を飾る行事になったとされています。また、中国では桃には邪気を払う力があるとされており、旧暦の3月3日ごろは桃の花が咲く季節であったため、ひな祭りには桃の花が飾られるようになりました。そのため、ひな祭りは「桃の節句」ともいわれます。

  • 桜田門外ノ変

    1860(安政7)年3月3日、江戸城の桜田門の近くで、江戸幕府の大老・井伊直弼が暗殺されました。暗殺をはかったのは、尊王攘夷派の水戸や薩摩の18名の浪士です。
    当時の日本は外国との貿易を制限(鎖国)していて、それを続けるか開国するかで幕府の中は対立していました。アメリカが要求していた開国を受け入れ「日米修好通商条約」を結び、吉田松陰ら尊攘派を厳しく処罰した安政の大獄を行なったため、井伊直弼は反対派の浪士によって殺されたのです。
    最高権力者を失った幕府は動揺し、体制が崩れていきます。これが、後の明治維新に繋がっていきます。

  • π(パイ)

    どんな大きさの円でも円周と円の直径の長さの割合は等しくなっており、円周の長さが直径の長さの何倍になっているかをあらわす数を「円周率」といいます。四千年以上も昔から多くの学者が円周率を研究し、18世紀にギリシャ語の「周」を意味する単語の頭文字を取って、円周率を「π(パイ)」と呼ぶようになりました。
    πの値は、研究によって「3.14159265……」と、どこまでも続く数だということが分かり、その最初の「3.14」をカレンダーの3月14日に当てはめて「π(パイ)の日」と呼んでいます。
    日本ではマイナーな存在の「πの日」ですが、世界の多くの国で認められており、パイを食べるなどしてお祝いをするそうです。

  • 動物園

    東京・上野公園の中に博物館の一部として日本初の動物園が開園したのが、1982(明治15)年の3月20日です。今では約500種、3200点を超える動物がいる巨大動物園ですが、当時は51種300点ほどの小さな動物園でした。当時の入園料は、日曜日が2銭、それ以外が1銭で(5~10歳は半額、5歳未満は無料)、当時の郵便料金(はがき1銭、封書2銭)とほぼ同じでした。太平洋戦争中は、軍の指示によって動物たちが殺処分されるなどの悲劇がありましたが、戦後は「動物園は平和そのものである “Zoo is the peace”」を合言葉に復興を遂げ、現在も大いに賑わっています。
    ちなみに、毎年3月20日は開園記念日として入園無料となっており、たくさんの人が訪れるそうです。

  • ベートーヴェン

    1827年3月26日は、ドイツの作曲家ベートーヴェンが亡くなった日です。ベートーヴェンは第5交響曲「運命」や「エリーゼのために」など、音楽史に残る偉大な功績を残し「楽聖」と呼ばれたため、この日を「楽聖忌」と呼びます。
    幼い頃から父親の英才教育を受けて活躍の場を広げましたが、20代の後半からは難聴に苦しみ、40歳の頃にはまったく聴こえなくなってしまいました。しかし、ベートーヴェンは耳が完全に聴こえなくなった以降も、肝硬変で亡くなる56歳まで作曲を続けます。最期の言葉は、ラテン語で「諸君、喝采したまえ。喜劇は終わった。」だったと伝えられています。

  • 花粉

    春になると、くしゃみや鼻水が止まらない・・・。花粉症は植物から出る花粉が人間の鼻や目に入ることで起こります。
    花粉は植物のおしべにできる小さな粒で、めしべに受粉することで花を咲かせます。その花粉が風に乗って空気中を漂い、人間がそれを吸いこむと体が拒否反応を起こし、くしゃみや鼻水、涙を出して花粉を外に追い出そうとするのです。これが花粉症のしくみです。
    原因となる花粉は季節によって違い、人によっても反応するものとしないものがあります。花粉症の原因となる主な植物には、スギやヒノキ、ブタクサやイネなどがあります。

  • 日曜日

    1876(明治9)年3月12日、日本の官公庁が土曜日半休、日曜日が休日となる制度を始めました。明治時代以降、官公庁は毎月31日を除いた1と6の付く日を休日としていましたが、交易等で不便があったため欧米と同じ仕組みに改めることにしたのです。この日を「サンデーホリデーの日」といいます。それから100年以上経った1992年、国家公務員は完全週休2日制となり、2002年には公立の学校も週5日制となりました。
    ちなみに、日曜日の夕方に「明日仕事(学校)に行きたくない」と憂鬱になってしまう状態を、毎週日曜夕方6時半から始まる長寿アニメ番組にならって「サザエさん症候群」と呼ぶそうです。世界でも、月曜日のことを「Blue Monday(青の月曜日)」と言い、「休日明けの物憂い月曜日」と認識されているそうです。

  • 和菓子

    春になると、スーパーやお店に「春モノ」が並び始めますね。
    和菓子屋さんでも、桜餅やいちご大福、うぐいす餅や三食団子など、春を感じる和菓子が並びます。目で見て楽しい、食べて美味しい、季節を感じつつ甘いものを食べると幸せな気持ちになりますね。
    春の暖かな日差しの中、お茶と一緒に和菓子はいかがですか?和菓子が登場する小説も合わせて紹介します。

「追悼・金子兜太さん」をコーナー7に追加

追悼・金子兜太さん

金子兜太さんが 2018年2月20日に98歳で亡くなられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

追悼といたしまして、現在「2月の本」展開中の入口側コーナー7に、金子兜太さんの著作を集めました。
3月上旬まで展開予定です。どうぞご覧ください。

「追悼・石牟礼道子さん」をコーナー7に追加

追悼・石牟礼道子さん

石牟礼道子さんが 2018年2月10日に90歳で亡くなられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

追悼といたしまして、現在「2月の本」展開中の入口側コーナー7に、石牟礼道子さんの著作を集めました。
3月上旬まで展開予定です。どうぞご覧ください。

コーナー8「五輪ノ書」

平昌オリンピック・パラリンピックを応援しよう!

「五輪ノ書」コーナー掲示
「五輪ノ書」コーナー掲示
「五輪ノ書」本棚

4年に1度の冬季オリンピック・パラリンピックがやってきます。
津島市立図書館では、やはり「本」の力で選手を応援したいと思い、特設コーナーを作りました。名付けて「五輪ノ書」。

寒い日が続きますが、本を読んで選手たちを熱く応援しましょう。

フィギュアスケート

ステップやターン、そしてジャンプ……美しさを「」せる種目、フィギュアスケート。フィギュアスケートがはじめてオリンピックに登場したのは、冬季オリンピックがはじまる以前の1908年、なんと夏季ロンドン大会でした。
夏にスケート?……と思われるかもしれませんが、当時は1800年代後半に登場した屋内人工スケートリンクが既にあり、夏でもスケートが人気となっていました。ちなみに、冬季オリンピックでは1924年の第1回シャモニー・モンブラン大会から正式種目となっています。平昌オリンピックでは、男女のシングルスケーティング、ペアスケーティング、アイスダンス、および、団体が正式種目。愛知県名古屋市出身・宇野昌磨選手の活躍にも注目しましょう。

  • 『クリスタルエッジ』 風野潮

    元・選手でコーチの父を持ち、幼い頃からフィギュアスケートを続けてきた少年の成長を描く男子スケート小説。やめたいと思うこともあるけど、やめたら自分には何も残らないような気もして――。青春は、いつだって眩しいものなのです。

  • 『蒼い炎』『蒼い炎Ⅱ』 羽生結弦

    ソチ五輪金メダリスト・羽生結弦選手の歩みを、写真とインタビューで振り返る自叙伝。
    2011年・東日本大震災に被災しながらも、逆境をバネに成長を続ける王者――。強い言葉が胸を打ちます。

スキー・ジャンプ

冬季オリンピックにおける日本のお家芸といえば、スキージャンプ。1972年の札幌オリンピックでは、70m級(現在のノーマルヒル)において日本が金・銀・銅メダルを独占するという快挙を成し遂げ、「日の丸飛行隊」とよばれました。日本で二度目の冬季オリンピックとなった1998年の長野オリンピックでは、スキージャンプ・ラージヒル団体で金メダルを獲得。原田雅彦選手の号泣が記憶に残っている方も多いかと思います。スキージャンプは、ジャンプの距離を示す「飛距離点」と、ジャンプの美しさ、正確さ、着地姿勢などを採点する「飛型点」の合計で競われます。
“美しく、遠くへ「」ぶ”ことを競うスキージャンプ。さて、平昌ではいかに?

  • 『フライングガールズ』 松原孝臣

    かつて「女子にジャンプは無理」と言われ、女子ジャンプの国際大会が新設された1999年当時、日本人参加選手はわずか2人でした。道を作ってくれた人がいるから道はある……と私たちに教えてくれる一冊です。

  • 『夢は、努力でかなえる。』 葛西紀明

    今回の平昌五輪が、日本史上最多の8度目の五輪となるスキージャンプ界の“レジェンド”・葛西紀明。決して調子がいい時ばかりではない、と語りながらも世界のトップに立ち続ける男の美学とは?その背中、格好良すぎます!

カーリング

知略とテクニックで相手と勝負する「」詰めの試合展開が見どころのカーリング。
昔、北欧の人々が凍った池や川の上で石を投げ合って遊んだのが始まりといわれており、ベルギーの画家ブリューゲルの「雪中の狩人(1586年)」という作品では、氷上でカーリングを楽しむ人々が描かれています。長い歴史を持つカーリングですが、オリンピックの正式種目となったのは1998年、長野オリンピックからと最近のことです。

  • 『みんなのカーリング』

    「氷上のチェス」とも呼ばれるカーリング。平昌五輪で、日本チームは長野五輪以来20年ぶりに男女同時出場します。技術に加え、ストーンをどう配置するか、作戦が重要といわれるカーリング。最近は、作戦の立案に人工知能(AI)を活用しようとする研究も進んでいるとか。この本でルールを予習してみましょう。

  • 『青森ドロップキッカーズ』 森沢明夫

    不当に勝つなら、むしろ負けを選ぶ。ルール違反をしたとき、自ら申告する。思いやりを持ち、常に高潔である。これは、作中に登場する「カーリング精神」です。格好良いですよね!個人的には、図書館司書をしながらカーリング・ナショナルチームに参加している、という設定の登場人物にビックリしました。

支える人たち

金メダルを取った瞬間、選手は喜びを体いっぱいに表現します。しかし、その瞬間は選手だけのものではありません。
監督やコーチ、トレーナー、栄養士、スケートシューズやスキー板などの用具を作る職人、そして家族・・・。選手たちの周りにいる多くの人達も、選手とともに歓喜し、涙します。「」える存在なくして、選手たちの活躍はありません。
選手のまわりには、どんな人達がいて、どのように喜怒哀楽を分かち合っているのか、ページをめくってみましょう。

  • 『下町ボブスレー』 細貝淳一

    2014年にTVドラマ化された東京都大田区の小さな町工場が中心となって競技用そりを開発する下町ボブスレープロジェクト。その舞台裏を描く一冊です。「資金はなくても、頭は使い放題だ」など、痺れる台詞もいっぱい。残念ながらソチ五輪では滑走できませんでしたが、平昌五輪ではリベンジなるか!?注目です。

  • 『天才を作る親たちのルール』 吉井妙子

    「もし頑張るなら、誰のためでもない、自分のためにやれ」。
    女子スノーボードアルペン代表・竹内智香選手の父・隆治さんが、娘に贈った言葉です。本書は、著者が世界レベルで活躍するアスリート12選手の家庭を訪問し、「子育てにおいて大切にしてきたこと」をインタビューした一冊。巻末には尾木ママも登場!

パラリンピック

さて突然ですが、クイズです。平昌パラリンピックで、行われる競技の数はいくつでしょう?……正解は6競技(アルペンスキー、バイアスロン、クロスカントリースキー、スノーボード、パラアイスホッケー、車いすカーリング)。思ったよりも少ない数で、驚いた方が多いかと思います。「もう一つの(parallel)+オリンピック(Olympic)」=パラリンピックには、まだまだ私たちが知らないことがたくさんありそうですね。
3月9日~3月18日、雪の上で、氷の上で、選手たちは「」きます。4年に一度のその勇姿、こちらもお見逃しなく!

  • 『まるわかり!パラリンピック』

    児童書かぁ、と侮ってはいけません。各競技のルールや用具を豊富なイラスト・写真でわかりやすく解説。はじめて冬季パラリンピックを観戦するあなたのお供となる一冊といえるでしょう。
    “ビジュアリーインペアード”なんて言葉を知っていたら、あなたも「パラリンピック通」と自慢できるかも?

  • 『不可能とは、可能性だ』 笹井恵里子

    新井佳浩選手は祖父が運転するコンバインに巻き込まれ、3歳で左ひじから先を失いました。スキーと出会った新井選手は「事故の責任を感じている祖父に金メダルを!」という目標を立てます。
    四度目のパラリンピックで金メダルを2つ獲得するまで……新井選手の「挑戦」の半生を振り返ってみましょう。

コーナー7「2月の本」

「2月に関する本」を集めました

「2月の本」コーナー
「2月の本」コーナー
「2月の本」コーナー

入口ゲート付近のコーナー7では、2月に関する本を集めた「2月の本」を展開しています。
今後、毎月ごと季節に合った本を紹介していく予定です。

  • チョコレート

    2月14日は、日本では女性が男性にチョコレートを贈る「バレンタイン・デー」です。古代ローマでは、兵士が故郷に家族を残して戦争に行くのは士気が下がると、兵士の結婚は禁じられていました。しかし、キリスト教の神父・聖バレンタインは兵士を憐れに思い、内緒で多くの兵士を結婚させてあげていました。それが皇帝の知るところとなり、2月14日にバレンタインは処刑されてしまいます。後に欧米では、この日を「愛の記念日」として恋人や夫婦がプレゼントを交換するようになり、その風習が日本で広まった時に、女性が男性にチョコレートを贈る日に変化したのです。処刑された日が「愛の記念日」になったなんて、不思議ですね。

  • お寿司

    2月3日は節分です。
    近年、すっかりお馴染みの「恵方巻」。方位の神様とされる歳徳神(としとくじん)がいる方角(恵方)を向いて、太巻き(恵方)を食べる風習は、もともと関西地方で盛んでした。健康や商売繫盛などの願いごとを思い浮かべながら、無言で恵方巻一本を食べるのが習わしとされています。これは、食べている途中で喋ると、福が逃げるとされているからです。
    恵方は毎年変わりますが、今年、平成三十年の恵方は「南南東、やや右」とのこと。家族や友人と「無言で」チャレンジしてみてはいかがでしょうか?

  • 針仕事

    2月8日は、関東では「針供養」が行われる日です。昔は、着物を自分で縫って作り、破れた時には継ぎを当てて使っていたので、針は大切な道具でした。「針供養」は、お裁縫で折れたり曲がったりした針を豆腐やこんにゃくなどの柔らかいものに刺して供養します。その日は針仕事をお休みして、お裁縫の上達を祈ります。また、全国にある淡島(あわしま)神社に針を持って行って供養したり、一部の地域では針を刺した後の豆腐やこんにゃくを川に流したりする風習もあります。現在でも、「針供養」は和裁や洋裁などを仕事とする人の間で受け継がれています。
    お世話になった「針」に感謝する「針供養」。普段使っている「物」にも感謝する心は、これからも大切にしたいものですね。

  • 友情

    2月22日は「世界友情の日」、「国際友愛の日」です。
    ボーイスカウトの創始者であるベーデン・パウエル卿の誕生日にちなんで、1963年のボーイスカウト世界会議で制定されました。(ベーデン・パウエル卿の妻で、ガールスカウトの創始者であるオレブ・ベーデン・パウエル卿も同じ日が誕生日です。)この日は、平和で国境を越えて世界の人々とも手をつないで明るい社会をつくることを目指す日。「友情」の大切さを実感する日でもあります。
    間もなくやって来る春は、共に過ごした友達との別れのシーズンでもあります。あわせて、「友情」がテーマとなっている小説も紹介します。

  • 二・二六事件

    1936(昭和11)年の2月26日、ある青年将校が1400人に及ぶ兵士を率いて反乱を起こしました。当時の大蔵大臣・高橋是清、内務大臣・斎藤実などを殺害し、政府要人を次々と襲いました。反乱グループは首相官邸や警視庁などの建物を占拠しましたが、天皇による命令に従い降伏し、青年将校は逮捕されました。
    この事件をきっかけに、軍の力がより強くなり、政治にも深く関わるようになりました。

  • 2月の上旬、札幌の大通公園をはじめとする複数の会場では「さっぽろ雪まつり」が開催されます。
    「さっぽろ雪まつり」は、1950(昭和25)年に地元の中・高校生が6つの雪像を大通公園に設置したことをきっかけに始まりました。以後、札幌の冬を彩る行事としてすっかり定着し、今では国内外から約200万人以上が訪れる冬の一大イベントとなっています。

  • レモン

    フランスのコート・ダジュールにある町・マントンでは、2月中旬から3月上旬に「レモン祭り」が行われます。「レモン祭り」は1895年にホテルの経営者たちがマントンの町を活気づけるために始めたお祭りで、現在ではニースのカーニバルやモナコのF1と並んで、コート・ダジュールの3大イベントの一つとして数えられています。名産であるレモンをぎっしり貼り付けたオブジェが町中に飾られ、夜になるとレモンを使った山車(だし)でパレードを行います。1回の「レモン祭り」で使うレモンの総量は約150トン。
    祭りで使った後のレモンはジャムやアルコールに加工するため、果実を傷めることのないよう釘や針金を使わず、ゴムなどで固定されているそうです。

  • 今から2700年ほど前の古代ローマでは、一年を10ヶ月として3月が年のはじめとなるロムルス暦を使っていました。その後、第11月と第12月が加えられ(ヌマ暦)、さらにエジプトの太陽暦の暦にならって暦を変えていきました(ユリウス暦)。その時、年のはじめは1月に改められましたが、もともとは3月を年のはじめとしていたため、一年の最後だった2月にうるう日を作り、一年の長さを調整しました。
    後に、ローマ教皇グレゴリウス13世が、うるう日の置き方に工夫を加えましたが、2月は他の月よりも短いまま、現在使われているグレゴリウス暦に至ったというわけです。
    いつもより短い2月。一日一日を大切に過ごしたいものですね。

  • 歌舞伎

    1607(慶長12)年2月20日、江戸城で出雲の阿国(おくに)が、当時将軍だった徳川家康や諸国の大名の前で初めて「かぶき踊り」を披露しました。歌舞伎はもともと「かたむ(傾)く」の古語である「かぶく」が語源とされており、「かぶき者」奇抜な服装や行動をしている一風変わった男性のことを指しました。この「かぶき踊り」を最初に始めたのが、出雲の阿国といわれています。今でこそ、歌舞伎といえば男性が主役となるイメージですが、歌舞伎の原型を作った阿国は女性でした。

  • 忍者

    「ニンニンニン!」の語呂合わせから、2月22日は「忍者の日」。2015年に、忍者の里として有名な三重県伊賀市や滋賀県甲賀市が中心となって制定された記念日で、全国ゆかりの地で忍者イベントが開催されます。制定されてから日も浅いため、全国的な認知度はまだまだ低いようですが、今年2月には国際忍者学会も設立。
    平成の世においても、忍者を主人公とした映画やマンガが制作され、国内のみならず海外でも高い人気を集める忍者。注目してみてはいかがでしょうか?

コーナー8「2017年追悼」に星野仙一さん・森山京さん・たかしよいちさんを追加

星野仙一さんが2018年1月4日に70歳、森山京さんが2018年1月7日に88歳、たかしよいちさんが89歳で亡くなられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

追悼といたしまして、現在展開中のコーナー8「2017年追悼」に著作を集めました。
どうぞご覧ください

コーナー8「2017年追悼」

コーナー7「1月の本」

新しい年の始まりです。「1月に関する本」を集めました

「1月の本」コーナー
「1月の本」コーナー
「1月の本」コーナー

入口ゲート付近のコーナー7では、1月に関する本を集めた「1月の本」を展開しています。
今後、毎月ごと季節に合った本を紹介していく予定です。

  • 初詣

    お正月には欠かせない行事となった初詣。お正月になると、多くの人が一年の無事と平安を祈るために、神社やお寺へお参りに行きます。もともと初詣は、氏神様(その地域をつかさどる神)を迎えるために、一家の主が大晦日の夜から翌朝まで神社にこもる「年ごもり」という行事でした。今のような初詣になった江戸時代中頃には、恵方(氏神様がいるとされる方角)の寺社にお参りしましたが、現在では近所の寺社や有名な寺社などへ参拝を行って、社務所でお守り、破魔矢、熊手などを受けたり、絵馬に願いごとや目標を書いたりして、今年一年が良い年であるよう祈ります。

  • 二十歳

    1月の第2月曜日は、20歳を迎える人たちが集まって成人式をする「成人の日」です。成人を祝う行事は古くから行われていて、奈良時代頃から「元服(げんぷく)」や「髪上(かみあ)げ」とよばれる儀式が行われていました。当時は12~16歳くらいから「大人」とされていました。現在と同じ20歳で成人式が行われるようになったのは、戦後のこと。地域の新成人が一堂に会して行う成人式の発祥は、1946年埼玉県の現・蕨市で開催された「青年祭」だと言われています。それが全国に広まり、1949年の1月15日が「成人の日」と制定されました。その後、西暦2000年の祝日法改正(通称・ハッピーマンデー法)により「成人の日」は1月の第2月曜日に変更になりました。

  • 地下鉄

    1863年1月10日、イギリス・ロンドンで世界初の地下鉄が走りました。地下鉄といっても、現在のような電車ではなく石炭を燃やして走る蒸気機関車でしたから、トンネルの中は汽車が出す煙でいっぱいになり、乗客も煤(すす)で真っ黒になったといわれています。距離にして約6㎞、トンネルの断面がほぼ円形であったことから「Tube(チューブ)」という愛称で知られています。ちなみに、1900年に夏目漱石はロンドンで初めて地下鉄に乗ったといわれており、その模様は『倫敦消息(漱石全集 第12巻に収録)』という作品で読むことができます。漱石は「地下鉄」を「地下電気」と著しています。

  • うどん

    麺を食べる行事としては「年越し蕎麦」が有名ですが、近年話題となっているのが、さぬきうどん振興協議会が提唱している「年明けうどん」。純白で清楚なうどんを年の初めに食べることで、その年の幸せを願うものだそうです。「年明けうどん」の定義は①元旦~1月15日までの期間に食べること②純白のうどんに一点、新春を祝う『紅』を用いること、とされています。紅い食材は、蒲鉾、えび天、人参のかき揚げ、梅干し、など、紅いものであれば何でも良いので、家庭独自の「年明けうどん」レシピを楽しむことができます。寒さ厳しいこの季節、温かいうどんで身も心も温まり、年の幸せを願ってみてはいかがでしょうか?

  • お粥

    1月7日は「人日(じんじつ)の節句」です。五節句の一番目の節句で、この日は病気をしない丈夫な体を作るという願いを込めて、朝に七草(せり・なずな・ごぎょう・はこべら・ほとけのざ・すずな・すずしろ)を入れたお粥を食べる風習があります。七草を入れたお吸い物を食べる中国の風習が平安時代に日本に入り、江戸時代に庶民の間に広がったとされています。また、お正月に食べすぎや飲みすぎで弱った胃腸を休めるという意味もあります。

  • 囲碁

    「い(1)ご(5)」の語呂合わせから、誰もが気軽に囲碁に触れ、親しむことを目的に2013年に制定されました。日本棋院では、この日に「打ち初め式」として、囲碁ファンと棋士の交流イベントを実施しています。近年の囲碁界においては、20代の若手棋士・井山裕太九段の圧倒的な活躍が目立ち、棋聖・名人・本因坊・王座・天元・棋聖・十段の七冠独占を二度達成。今年2月には、将棋の羽生善治竜王とともに国民栄誉賞が授与される見通しです。

  • 寒さに勝つ!

    1月20日から2月3日頃までの、最も寒さの厳しい15日間を「大寒」とよびます。「小寒」の15日間とそれに続く「大寒」の15日間の合計30日間を「寒の内」といい、一年で一番寒さが厳しい季節となります。近年、女性たちの間で話題となっている「冷えとり」や、体を温める生姜や辛い食べもの、手編みのセーターや湯たんぽカバーの作り方の本などを集めました。「大寒」が過ぎれば、「立春」が訪れます。春を元気に迎えましょう。

  • 鳥羽・伏見の戦い

    1868(慶応4)年1月3日、山城国(京都)の鳥羽と伏見で「鳥羽・伏見の戦い」が勃発ました。大政奉還に続いて、朝廷に征夷大将軍の辞意を申し出た江戸幕府の15代将軍・徳川慶喜は、新政府から領地の返還を求められます。それに怒った会津藩と桑名藩の兵(旧幕府軍)が大坂から京都へ向かいますが、薩摩藩と長州藩の兵(新政府軍)が迎え撃ち、旧幕府軍が破れました。これが後に戊辰戦争へと発展します。

  • 阪神・淡路大震災

    1995(平成7)年1月17日午前5時46分に淡路島北部を震源とした大地震が起きました。マグニチュード7.3の大きな揺れが兵庫、大阪、京都などを襲い、ビル・住宅の倒壊や火災などによって死者6,435人、負傷者43,792人と多くの犠牲者が出ました。
    一方で133万人を超えるボランティアが駆けつけ、その多くはボランティア活動をしたことがない人たちでした。そのため、1995年は「ボランティア元年」と呼ばれるようになりました。
    「何もできないかもしれないけれど、何かの役に立つかもしれない」と被災者の一人ひとりに寄り添った姿は、自然災害が多いこの国に生きる私たちにとって忘れられない姿です。

  • 南極

    1958(昭和33)年、日本の南極観測船「宗谷」が南極にある昭和基地を目指したものの、厚い氷の壁に阻まれ途中で引き返すことになりました。すでに基地にいた第一次観測隊は、やむを得ず一緒にいたカラフト犬15頭を基地に残して軽飛行機で帰ることになりました。一年後の1月14日、第三次観測隊が昭和基地に到着すると、15頭のうちの2頭、タロとジロが生きているのが発見されたのです。このニュースは大きな感動を呼び、後に映画にもなりました。

企画展示「第1回ボタニカルアート展」

伊藤みゆきさんのボタニカルアート作品15点をご紹介します。

ボタニカルとは「植物の、植物学の」という意味。
つまり、ボタニカルアートは「植物学的な絵画」のことです。
「植物細密画」ともいい、植物図鑑の絵などがこれにあたります。

春はまだまだ遠いように思いますが、植物たちの世界は一歩ずつ「春」に向かって歩みを進めています。植物たちの声に耳を澄ませてみてはいかがでしょうか。

また、入口側コーナー7にて、植物の本を集めています。そちらも併せてご覧ください。

パネルの内容はこちら(PDF:113KB)

12月29日(月)~1月3日(水)年末年始休館のお知らせ

12月29日(月)~1月3日(水)は、全館休館いたします

期間中の返却は、各返却ポストをご利用ください(CD・DVD・ビデオは除く)。

  • 各返却ポストへご返却いただいてからWebOPACで返却が確認できるまで、お時間がかかる場合がございますのでご了承ください。
  • 休館中もインターネット予約は可能ですが、予約の確定は休館明けとなります。

12月15日より年末年始休館日まで、貸出期間が長くなります

12月15日(金)~12月28日(木)に貸出した資料は、3週間の貸出となります。
※相互貸借資料は除きます。

コーナー8「2017年追悼」に葉室麟さん・早坂暁さんを追加

早坂暁さんが2017年12月16日に88歳、葉室麟さんが2017年12月23日に66歳で亡くなられました。
心よりご冥福をお祈りいたします。

追悼といたしまして、現在展開中のコーナー8「2017年追悼」に著作を集めました。
どうぞご覧ください。

コーナー8「2017年追悼」